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黒澤明 「椿 三十郎」 [映画]


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黒澤明監督作品  椿 三十郎(1962)
 


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外の異変を察知した瞬間、それまで 寝ぼけたホームレス
しか見えなかった男の眼が険しく光った。

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     ◆   ◆   ◆




キューバでは、「クロサワ&ミフネ」 は神に近い という。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10007663572.html

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15年前、チェ・ゲバラ にまつわる奇妙な話を聞いた。
キューバ革命とヘミングウェイについて研究している男が

ほろ酔いの眼で 私を見ながら こう語り出したのだ。

「椿三十郎」のラストシーンを観るたびに、ゲバラが
キューバを去ったあの日を思い出して泣けるよ。
彼は あのサムライ映画、「SANJURO」
(欧米タイトル)
心から愛していたんだ。



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第一章  超人の誕生



知らなかったァ~!

ミフネが こんな魅力的な男だったなんて!



「椿三十郎」 を観た人は皆、口を揃えてそう言う。
特に 三船は不器用で大根” という先入観で映画を観た人は、
TVドラマの三船とは全く別人の演技・・・・いや、とても演技とは
思えない、伸び伸び自由闊達&天衣無縫な三船を観てショック
を受ける。


しかし、その気持ちは十分理解できる。
かつて 私も そうだったからだ。


「ミスタークロサワは “魔法使い”かも知れません・・・・」
当時、三船の際立った変貌ぶりをうまく説明出来ない関係者たちは、
来日した多くの海外映画人などに、精一杯のユーモアを交えながら
そう答えたという。
が、その気持ちもまた 十分理解できるような気がする。







「三十郎 二部作」 あたりから黒澤映画を観た人は、「酔いどれ天使」、
「野良犬」、「醜聞(スキャンダル)」
などでの若き三船を観たときに、
また違った意味で衝撃を覚えるという。
その あまりの美男ぶりに、「エッ! これがあのミフネ?」 と驚くのだ。



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醜 聞 (1950)





そんな三船が30歳になったとき、転機が来る。
盗賊・多襄丸を演じた「羅生門」が それだ。
この映画で ひょうきん野獣キャラを確立した三船。
(なにしろ、世界が認めたのだ)

そして、その発展完成形である 「七人の侍」 の菊千代。
…それは、演技の枠・概念を超えた “神がかり的” 怪演だった。
黒澤は、三船が生まれながらに持っていた個性(=ひょうきんな
野獣キャラ)を増幅、強い造形を施し 悲壮美にまで高めるという
奇跡的偉業を成し遂げた。



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 七人の侍(1954)
 






それから数年の時が過ぎても、 “菊千代” という強烈な個性の
愛すべき漢(おとこ)は人々の心に生き続けていた。
黒澤にしても その思いは同じだった。
そして・・・・・「七人の侍」から7年が過ぎた1961年、発展的に
リニューアルされた菊千代は “三十郎” という新キャラクターで
再登場することになるのである。


菊千代を死なせてしまったことを誰よりも寂しく思っていた黒澤は、
「用心棒」 を製作するにあたり、菊千代を原型(モチーフ)にした
不惑の三船にふさわしいキャラクター ・・・・・・強い正義感と愛嬌
(ひょうきんさ)をあわせ持つ さすらいの素浪人モデルを思いつき、
その着想の具体化に乗り出す。




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着想には確かな裏づけ・・・・黒澤の三船に対する鋭い観察把握が
あった。(三船は 「七人の侍」の頃から黒澤作品以外の剣豪映画
で主役を演じていたが、当然 それらも 黒澤はチェックしていた。)


並み外れた努力家である三船は、10年来続けてきた抜刀居合道、
殺陣(たて) などの分野で、このとき既に 師範レベルに達していた。
機は十分に熟していたのだ。
黒澤は、「本読み」段階で 三船と話し合いながら、その原型に微妙
なディテール(長いホームレス生活で着物に蚤がわき盛んに痒がる
しぐさなど)や ハードボイルド風の言いまわしなどを肉付けしていき、
数ヶ月かけて、ようやく あの“三十郎”像を完成させた。
「超人伝説」 の誕生である。






そんな経緯を経て誕生した「用心棒」は、公開と同時に大きな喝采を
もって迎えられた。
これまでずっと “黒澤(芸術派)時代劇”に辛い点を付けてきた守旧派
の時代劇ファンも、この映画に関しては手放しで絶賛した。
しかし、この映画が、狭い意味での“時代劇通”だけを魅了したのなら
これほど多くの支持を集めることはなかっただろう。







「用心棒」には、映画作りのプロから初めて映画を観る若者に至るまで、
それこそ誰にも理解できる現代的な面白さと、あっと驚く斬新なイメージ
が横溢(おういつ)していた。
からっ風吹き狂う宿場町を舞台に繰り広げられるこの勧善懲悪英雄譚は、
完璧なパンフォーカス撮影、超望遠レンズを駆使した大胆なカメラワーク、
全役者への個性的造形、語り口の絶妙のテンポ、息もつかせぬスリリン
グな展開、随所に光る男性的ユーモア、風刺の利いたヤクザ批判、巧緻
を極めた編集、繊細かつ大胆な音楽・擬音設計など、あらゆるテクニック
が豪華に散りばめられ、観る者を魅了してやまなかったのである。







もうひとつ、人々を熱狂させたものがある。
それは 三十郎の超人的な剣使い・・・・それまで誰も見たことのない
驚速の剣さばきだった。
やはり、これを語らずして、「用心棒」を語ったことにはならないだろう。
三船の凄まじい剣技に観客はドギモを抜かれ、目の肥えた時代劇通
も これにはうなった。
評判は評判を呼び、街には連日長蛇の列が出来た。
お蔭で東宝は大いに潤い、「悪い奴ほどよく眠る」で財政難の瀬戸際
だった黒澤プロも 何とか息をつくことが出来たのである。

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第二章     異例の続編

。。


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「用心棒」が世に出たちょうどその頃、松竹に、入社間もないながら
メディアに持てはやされる新人監督の一群・・・・大島渚、篠田正浩、
吉田喜重らがいた。
彼らは、助監督として入社した頃フランスに吹き荒れていたヌーベル
ヴァーグ運動に感化され、「フランス人に出来て我々に出来ないはず
がない! 絶対にうまくいく」 と会社を説得、修行途上ながら、早急に
自作を撮らせてくれるよう執拗に迫った。
社会の矛盾を糾弾する正義感に燃えて立ち上がったそれらの若手に
対し、松竹サイドは 意外にあっさり その要求を飲んだ。








その背景には、時流への迎合を図ることで話題作りと売上げアップを
目論まざるを得ない松竹側の事情があった。
ところが! ・・・・結果は凶と出た。
新人たちは、期待に反して難解な奇作を連発した。
そのため、この “松竹ヌーベルヴァーグ” は 会社の屋台骨を危うくする
結果を残して頓挫し、世間から 「斜陽産業の断末魔」 と酷評された。








その頃、東宝(黒澤プロ)では、「用心棒」の大ヒットを受け、もうひとつの
「三十郎」企画が急浮上していた。
「用心棒」に熱狂した者たちは皆、それを聞いて狂喜した。
が、極度の続編嫌いで鳴る黒澤にすれば、まさに “異例の決断” だった。

その動機のひとつに、松竹の新人監督たちの未熟を叱りつけるねらいも
あったのでは? と言われたりもしたが 事実は微妙に異なる。 
黒澤の真意は、森谷司郎、出目昌伸、大森健次郎ら 黒澤組の助監督に
「そんなに功を焦るな! 今はじっくりと腰をすえて基本を学ぶほうがいい」
というメッセージを送ることにこそあった。
明日の東宝は君たちの双肩にかかっている・・・黒澤は、若侍たちの姿に
彼らを重ね、深い愛情をもって激励していたのである。



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話題の「隠し砦の三悪人」が ついに封切られ、超ド級の面白さに日本中が沸いていた1959年1月、
地球の裏側から キューバにおいて 革命政府が成立! という驚きのニュースが飛び込んできた。
世界に大きな衝撃が走った瞬間だったが、誰より鋭敏な黒澤の心中は 如何ばかりだったろう。
「赤ひげ」撮入直前のキネ旬独占インタビューで、もし無制限の製作費を与えられたら 何を撮るか
だって?   そうなったら ボクはもう映画なんか撮らないね。その金を使って 直接社会を変えるよ
と答えた黒澤のことだ。
そんな“理想に燃える永遠の青年”が、キューバで成った革命劇をどんな思いで見つめていたかは
容易に想像できる。


07年になって、「生きものの記録」に激しく感動したゲバラが59年夏、
広島を慰霊訪問していた という事実を毎日新聞がスクープした。


キューバ革命の英雄 エルネスト・チェ・ゲバラ が ボリビア山中で捕らえられ 39歳の若さで
刑死してから40年目の今年(2007年)、当時無名のゲバラが1959年夏に来日していた
と証言する人が現れて話題になった。以下は、その記事の抜粋。

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが1959年に来日、広島を電撃訪問して
いたことが 9日分かった。
当時副団長だったオマル・フェルナンデス氏(76)が明らかにしたもので、
氏は、「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、深夜大阪のホテルを抜け出し、
夜行列車で広島に向かった。彼は行動の男だった」と当時を振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から 3ヶ月間、アジア・アフリカを
歴訪しているが、その視察団長を31歳のゲバラが、副団長を2歳年下の
フェルナンデス氏が務めた。
一行は7月に来日し 自動車工場などを視察したが、フェルナンデス氏に
よると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは 当初は予定になかった
広島の被爆地訪問を強く希望したという。
だが、日本政府の許可が下りなかったため (米国に配慮した=筆者注)、
業を煮やしたゲバラは 大阪のホテルに滞在中、「もうこれ以上待てない。
闇にまぎれて広島に行こう!」とオリーブグリーンの軍服姿で大阪駅から
護衛も連れず 2人だけで夜行列車に飛び乗ったのだ という。
(10/9 毎日新聞) 

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盟友・早坂文雄の急逝(1955)以来、現実世界から逃避気味だった
黒澤だったが、キューバ革命後、彼の心に ある変化が生じ始める。
もともと強かった社会改革への意欲が急速によみがえってきたのだ。


それから20ヶ月後の1960年9月、日本の指導者、権力者の腐敗を
糾弾した力作 「悪い奴ほどよく眠る」が、黒澤プロダクション第1作と
して発表された。


「悪い奴ほどよく眠る」で “社会復帰”を果たした黒澤が次に取り組んだ
のが 「三十郎二部作」 だった。
その第二弾 「椿三十郎」では (不正を憎む血気盛んな若者らとともに)
腐敗した藩幹部を倒すべく決起した三十郎が、苦心の末に奸臣を打ち
破り 藩政の刷新&改革を成し遂げる。
その椿三十郎の発想や行動原理に、高杉晋作を彷彿(ほうふつ)させる
革命ゲリラ的 したたかさと若々しい行動の美学を感じた人は、当時から
少なくなかっただろう。
「60年安保反対運動」の後、革命の熱いまだ冷めやらぬ頃の話である。
そんな中、黒澤も、現実と係わることの意義を再確認しつつあった。


いずれにせよ、黒澤とチェ・ゲバラが、あふれるほどの
弱者への思い
正義を希求する純粋な情熱
を終生持ち続けた “熱く優しい男たち”
だったことだけは確かだろう。





黒澤が1975年に旧ソ連で撮った「デルス・ウザーラ」のラスト、
デルスの埋葬シーンでは、ゲバラの “非業の最期への哀悼”と
“惜別の思い” が色濃く投影されているという。
ソ連経由で「デルス」が配給されたキューバにおいて、この映画
を誰より強く支持していたのが カストロ議長だというエピソードも、
今となっては興味深い。

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【付記】

「菊千代」と「三十郎」の近似性は、音楽からも窺い知ることができる。
「菊千代のテーマ」をスロー再生すると 「三十郎のテーマ」になる。

もちろん音楽だけではない。
ふたりの人物を比べてみると、両者の共通項が見えてくる。


・本名を明らかにしないところ。
・野育ちで “お行儀”が悪く ぶしつけなところ。
・ぶっきらぼうに見えて意外なほど人懐っこく人間好きなところ。
・自由(勝手気まま)を愛し、窮屈とか束縛を極端に嫌うところ。
・いわゆる正統な侍ではないが 侍以上に勇気があるところ。
・人並み外れた正義感と突出した行動力を持っているところ。
・言動が常にユーモアを醸し出しているところ。
・外見とは正反対?に異常なほどの人情家で、思いやり(親切心)
 と ヒューマニズムが着物を着て歩いているようなところ。


それにしても、7年見ない間にずいぶん強くなったものです(^^)

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第三章    蛮勇のリメイク


 




(右から)森田芳光、松山ケンイチ、豊川悦司、織田裕二、中村玉緒、(左端)角川春樹


 
【織田裕二のコメント】
45年前の前作と同じ台本ということで、「時代の差が有り過ぎるのでは?」 と思っていました。でも、読んでみると現代にも十分通じる内容でした。椿三十郎は、正義感を持ちながらも、それをなかなか実行出来ない若者たちとともに、汚職に走る権力者と闘います。三十郎は、弱い人たち、困っている人たちを放っておけない、 見て見ぬふりの出来ない、そういう男です。非常に殺陣が多い反面、頭脳派の面も兼ね備えているで、「自分にこの役ができるか」と悩んだりもしましたが、殺陣を含め、すべて自分で演じました。 三十郎という男は、短気なところとか、人間臭いところも結構あって、森田監督による 人間的な味付けが為されています。 前作と見比べてその違いを味わっていただけたら、結構楽しめるのでは と思っています。この作品をやろうと思った理由は大きく二つあります。一つは監督からのラブコール。「どうしても君でやりたい、君じゃなきゃだめだ」 というその一言に、どうしても応えたいと思ったのです。 森田作品は ほとんど観ていて、その人に ここまで言われてしまうとね(笑) もう一つは、実はお話を頂くまで 「椿三十郎」を観た事がなかったんです。でも観てみたら、これがまた、面白い。こんな面白い映画に参加しないのは損だな と思ったのと同時に、ストーリーが今の時代にぴったり合っている と感じたんです。ああ、こんな時代だからこそ この映画を今やる意義がある、と感じたので、“是非に” と引き受けさせて頂きました。ただ、リメイクは、実は僕初めてでして、オリジナル作品を観てしまうと、ついついマネしそうになってしまうんですね。でも、マネしたところで三船さんの素晴らしい味というのは出せないし、何かあれば、そこは監督が「今の織田裕二が演る三十郎をやれ!」と厳しく叱ってくださるので、それに応えるように心がけました。もちろん 45年も前にこんな映画が作られたことは 正直驚きでしたし、プレッシャーもありました。 でも、いつの時代でも面白いものは面白い。であるなら、“自分の三十郎” を精一杯やればそれでいいんだと考え、あまり こじんまり とならないように気をつけながら演じていきました。 
 

     


 


“蛮勇”と書いたが そこに込めた思いは単純ではない。
だから 一言で説明するのは困難だが、あえて言うなら 
蛮勇のリメイク  もって瞑すべし
に近いだろう。





森田監督はいう。
「映画監督として、敬愛する黒澤さんの傑作に挑戦してみた
かった。 たとえ “蛮勇” と言われようとも・・・・・。 その結果
たとえ失敗しても、それは “男の本懐” でしょう」


 
もちろん 「黒澤映画のリメイクは無用であり 不愉快だ」という
意見が多いことは承知しているし、黒澤を憤慨させた“冒涜的
リメイク”が過去に数本あったことも熟知しているつもりだ。
(外国だけでなく、邦画にもそれはある。1973年にリメイク
された「野良犬」だ)


 

 





「黒澤映画のリメイク」 において最低限守るべきポイント、
“冒涜”のそしりを免れるための急所が 6つある。


◆元の脚本に意味のない改変(改悪)を加えない。(特に時代劇)
◆キャスティングは脚本と同じくらい重要だ。多くの意見・情報を
 もとに、テレビや舞台などの現場に自ら出向き慎重に人選する。
◆コンテ、アングル、撮影法(レンズ選択含む)は極力変更しない。
◆黒澤の編集術を徹底研究し、その「テンポとリズム」を体得する。
◆前作の「完璧緻密な音楽(音)設計」を理解し その上を目指す。
◆「本読み・立ち稽古」を徹底するために相応の予算をつける。

 

 

リメイクにあたって、オリジナルを忠実に踏襲することは絶対ではない。
しかし、実力のない監督が、やみ雲に殻を破ろうとしても自滅が待って
いるだけではないのか。
何と言っても 相手は「黒澤明」だ。たとえどれほど経験豊富な監督でも、
“世界のクロサワ”に並ぶのは容易ではないはず。
しかも それが「椿三十郎」ということになれば、それと同等のものを作る
のは まず無理と見るのが普通の感覚だろう。


 

 


ご承知のとおり、「椿三十郎」は1962年に公開された当時、観客以上
に、時代劇の作り手たちに衝撃を与えた革命的な作品だった。
それからの10数年、この傑作に追いつき 追い越すべく、リアリズムと
娯楽のバランスを追い求めて 時代劇映画は試行錯誤を繰り返す。
しかし、誰をもってしても ついに これを超えることが出来なかった・・・・
「椿三十郎」は そんな映画である。


 

 


とすれば、 名画を模写する画学生 のような謙虚な気持ちでリメイクに
臨むのが “賢明な処し方”ということになるのではないか。
特に時代劇の場合、多くの美術系技術 (大道具・小道具・衣装など)の
継承を絶やさず続けていかなければ伝統そのものが滅んでしまうという
厳しい現状の中にある。 謙虚であって あり過ぎることはない。

。 

もちろん、同じ脚本を使い どれだけ“お手本通り”に作ろうと頑張っても、
“劣化コピー”を創ることさえ容易ではないだろう。
黒澤映画は真似することさえ難しいのだ。
しかし、そもそも黒澤と我々とは「巨大恒星」と「惑星」くらい違うのだから
仕方がない。 それを知ることもまた 勉強なのだ。







いずれにせよ 黒澤映画のリメイクなんて滅多に出来ることではない。
その機会を得たことは、要するに、ギャラをもらって「黒澤芸術の秘密」を
とことん研究できる千載一遇のチャンスをもらったことに等しく、ひいては
演出家としての実力をつける絶好の機会となるはずだが、残念なことに
大半の監督たちは それに気づかない。
いや、実は “気づかない”のではなく、ただ彼らのプライドが許さないの
で気づかないふりをしているだけかも知れないが・・・・・・どちらにしても
“もったいない” ことに変わりはない。







彼らは、才能はないくせにプライドだけは妙に高く、自らの存在価値(?)
や吹けば飛ぶようなオリジナリティが失われることを極端に嫌うのだ。
そのためか、彼らはあらかじめ “逃げの布石”を打つ傾向にある。
「とにかく、もっともらしい理由をつけて脚本をいじってしまえ。本を大きく
変えてしまえば映画の出来も比べにくくなるし自分の無能もごまかせる。
そうなれば間違って実力以上の評価をもらうこともないとは言えないし…」
ささやかなプライドを守るためには、そういう方法しかないのだろう。
その気持ちは分からないではない。
だから、「監督を廃業しろ」 とまで言うつもりはない ……… しかし!


そんなに自信がないなら “黒澤映画”に近づくな!
と言いたくなってくるね(苦笑)

まあ、この映画に関して言えば、多くの点で黒澤映画への敬意
を感じ取ることが出来たし、取り立てて不愉快な場面もなかった。
であるなら、今や “国宝級” といわれる黒澤時代劇の傑作を
若い世代に広く知らしめた功績は もっと評価されていい。

このリメイク版を より深く楽しみたい人は、黒澤版「椿三十郎」を一度観てから映画館に
行くといいでしょう。(新作も セリフは全く同じ) 「椿三十郎」は 「用心棒」に比べて人間
関係や取り巻く状況が複雑で、それをセリフで説明する場面も多くあり、“事前予習”して
おくことで より深く楽しめると思います。


藩の現状を憂い密議をする若侍たちの前に突如現れたホームレスの浪人。
密議を聞かれた彼らは、この正体不明の男を斬り捨てようと殺気立つ。
このとき彼らは、このうす汚れたパッとしない男が、自分たちの窮地を救う大恩人になるとは思ってもみなかった。
 

この時期の黒澤映画は ムダとたるみを徹底的に排除して圧縮、
洗練を極めた映像、セリフ、音楽(音全般)を相乗的に作用させ、
最大限 “相乗効果の実(じつ)” が上がるよう 周到に計算して
作られています。
その結果、極めて密度の高い映画に仕上がっているのですが、
そんな映画世界を味わい尽くすのに一度限りの観賞では いか
にも もったいない。


「三船敏郎って こんな素敵な人だったんだ」 と思われたら
ぜひ「用心棒」も借りてみて下さい。
これも、抜群の面白さで おすすめです。


 
用心棒(1961)


  

我々は生まれながらにして 先人たちの遺した巨大な恩恵を享受している。
その恩恵に報いることなく死んでいくのは “食い逃げ”である。(トインビー)
 

 

第四章    ヒーローの系譜 




 
黒澤明が創造した “ボロを着た 抜群に頭の切れるヤツ”
という痛快無比のキャラクターは、その後 形を変えながら
応用・再生され、「刑事コロンボ」や「インディ・ジョーンズ」
という形で世に出ることになった。



 





日本では「刑事コロンボ」へのオマージュとして、三谷幸喜
による「古畑任三郎」が生み出された。
ということは・・・・・・「古畑」は、「用心棒」&「椿三十郎」の
“孫” に当たるヒーロー ということになる。
“古畑任三郎”という名が「用心棒」の主人公“桑畑三十郎”
にちなんで名付けられたという説もあるが、三谷氏自身が
「ご想像にお任せします」としか言わないので 本当の所は
分からない(“時任三郎説”も同様だ)。


 

 

 



“三十郎”が確立した 「一見 “頭脳派”にも“正義派”にも
見えず、自由気ままで 屈折した愛情表現しか出来ないが、
独創的な仕事をする」 というヒーロー像は 「古畑任三郎」
から「HERO(ヒーロー)」の久利生公平に継承された。
このTVドラマは広く人々に認知され、今年映画にもなった。
映画の久利生(木村拓哉)もまた、三十郎や古畑と同じく、
社会にはびこる悪を糾すために獅子奮迅の活躍を見せて
いるが、馴染みのメンバーによる軽妙な演技、全編にちり
ばめられたユーモアなど (決して“完璧な映画”と言えない
までも) なかなか楽しめる一編であった。


 

 

 

      


近年最大のヒットを記録した「HERO」だが、知人の弁護士
に言わせれば、「あんな検事があるか!」ということになる。
もちろん、その気持ちは分からないではない。
しかし、アラの目立つ脚本(*注)
・・・・・盛り上がりと決め手
を欠いた脚本から、そこそこの水準まで仕上げてきた鈴木
監督の手腕には 相当のものがあると思ったりするし・・・・。
まあ、ここは素直にスタッフ一同の健闘を称えておきたい。


(*注)
この映画の最大の弱点は脚本だろう。多くの点で詰めが甘すぎた。例えば
あの写真だが、自白に追い込む手段には成り得ても “決定的な法的証拠”
には成り得ない。都会のど真ん中に似た顔など少なくないし、夜間に あの
アングルでは個人の特定は無理だ。 せめて 男の顔と同じフレームに車の
ナンバーを入れて欲しかった。あのケースでは、犯行現場の自販機に着目
し、押しボタンや貨幣などに残った指紋から犯人を特定するほうが良かった。
また、タモリとの“駐車場をめぐる攻防”でも、住宅会社の業務日誌を調べも
しない状況で、タモリを有罪と決めつけるのは軽率すぎる。たとえ 日誌から
駐車状況が推定できたとしても、 当夜の駐車場の監視ビデオでもない限り 
相手を崩す決定打にはなり得ないのに、あれでは完全に「児戯」である。


 

 




しかし そんなことより、今昔ふたりの “ヒーロー”を並べて
みた時の 際立った対比のほうが、私には余程気になった。
「剛の三船敏郎」と「柔のキムタク」・・・・新旧両雄の何とも
劇的な個性の違い。
そして、そこに横たわる半世紀の時間。
いわゆる“ビッグスター”の変遷を垣間見るような一瞬だが、
私はその一瞬に歴史の重みを感じずにはいられなかった。





どんな時代にあっても、全ての世代に遍(あまね)く支持さ
れる映画があるとすれば、その共通項は“勧善懲悪物語”
だろう。
そして、たとえそれが どんなに陳腐なストーリーでも、時代
の空気を感じさせる優れた俳優が演じれば、それはもはや
陳腐ではなくなってくる。
彼らは、その類いまれな個性で、使い古されたプロットでも
その時代特有の雰囲気や“トレンドのスパイス”を利かせた
新味を加えながら、見事なアレンジをやってのけるのだ。


 

 

 


そういう視点で 改めて新版「椿三十郎」を見直してみた時に、
織田裕二への再評価、「あいつ 結構頑張ってるじゃん!」的
な感想を含め、この映画に対する見方が変わってくる可能性
は十分にある・・・・・・少なくとも脚本に関しては 「HERO」の
1000倍は良いわけだし。。。。。f(^^)ちと大げさか
いずれにしても、黒澤明が我々にもたらした「超人伝説」は、
時を超え姿を変えながら後世に伝えられ、その時代時代の
人の心を がっちりとつかんでいくことだろう。


 


 


最後に お願いです。


さきに述べた通り、「三十郎」 のキャラクターは 決して偶然から生まれた
ものではなく、黒澤と三船が創造の現場で共に苦悩し、戦い続けた歴史
の中から必然的に生み出された 苦悩と歓喜の結晶です。    

      
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残念ながら、森田芳光と織田裕二の間に そういう歴史はありません。
ですから、両作品の醸す雰囲気に違いがあっても、ひいては、完成度に
隔差があるとしても、それは、ある意味仕方のないことなのです。
両者を比べても ほとんど意味がない と言ってもいいでしょう。
今回のリメイクは “三十郎の物語” を作り直したというよりも、三十郎の
息子の話、父を尊敬する三十郎二世の物語 という感覚で、心おきなく
新世紀の「三十郎」を楽しんで頂ければ幸いです。 






9774874.jpg椿の庭.jpg
謎の浪人(三船)は、名前を訊ねる家老夫人から逃れるように庭に目をやった。
夫人は浮世離れしているかに見えて 「あなたは抜き身の刀、よ~く切れます。
でも本当に良い刀は さやに入っているもんですよ」
穿(うが)ったことを言う。
そんな夫人が苦手で仕方がない男の眼に “絶好のヒント”が飛び込んできた。
直後、三船の口から “史上名高い名せりふ” が放たれる。





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椿は 学名を 「Camellia japonica」 といいます。
名前の示す通り 日本原産の植物で、「サクラ」とともに
日本の春を彩(いろど)る代表的な花です。






赤い椿 白い椿と 落ちにけり     河東碧梧桐


「落ちにけり」は、落ち敷いている静止の状態を詠んだもの
ではなく,赤い椿が落ち、ハッとする間もなく 白い椿が落ち
てきた その瞬間の情景を詠んだものです。
とすれば、作者は、赤い椿が ぽたり と落ちたことに対して
驚きを覚え,その驚きが消えないうちに、今度は 白い椿が
ぽたりと落ちたことに感動しているんですね。






ふたつの椿の最期のきらめきと、そこから立ちのぼる潔さ。
それらを極めて即物的に、しかし 鮮やかに捉えたところに、
この句の生命があると言っていいでしょう。
黒澤は、この句をモチーフに、静謐な “椿屋敷”のイメージ
を膨らませていきました。


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【エピローグ】
1997年12月24日、三船敏郎は77年の生涯を閉じました。
訃報を聞いた黒澤明は急速に衰えを見せ始め・・・・・翌年9月、
あとを追うように亡くなりました。
黒澤映画を愛する世界中の人々が 悲しみにくれた1年でした。
(今回のリメイクに携わった角川氏や森田監督も、 そんなファン
のひとりでした。)




三船敏郎・没後10年に合わせて公開された新「椿三十郎」。
この映画を 天国の三船氏が、あの 「用心棒」 の一場面のように
愉快そうに笑いながら 「後輩たちよ、頑張ってるか」 という感じで
“高見の見物”をしてるとしたら・・・・・考えるだけで楽しいですね。

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そして我々も 偉大な先人を偲びつつ屈託なく映画を楽しめたなら、
クリスマス前後のひと時を明るくハッピーな気持ちで過ごせるかも
知れませんね。




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(*注)「トインビーの言葉」は、以前 黒澤先生から教えて頂いたものです。


 


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Labyrinth

Hiji-kata殿おひさしぶりです。

そか! 褒め言葉なんですね!(^▽^)なんだかホッ(;^_^A
それでは安心して?観に行けますね~(笑)
楽しみにしてますっ  ん! 予習も忘れずに (^-^)b
by Labyrinth (2007-10-04 00:03) 

すごく見たくなりました!
いや、黒澤監督j版のほうを!(笑)
三船さんの素敵さを最近知ったばっかりなのですもの!

森田監督版の椿三十郎は “ボロを着た抜群に頭の切れるヤツ”ではないのでしょうか?
ポスターの意匠が美しすぎるような気がしないでもありません(^^)
映画、見比べてみると面白そうですね♪
by (2007-10-04 15:37) 

Hiji-kata

◆Labyrinth 様  
おひさしぶりです!
「ひとり椿祭り」に いち早くご参加頂き、
感謝申しあげます。。。。m(!)m

>>褒め言葉なんですね
>>それでは安心して観に行けます

ボクも、人間関係は大事にしたいと思って
おりますので、一応 褒め言葉ということで
お願いします(笑)
冗談はさておき、脇役もしっかり固めてあって
安心して観ていられる映画だと思いますよ。

ところで、来て頂いたお礼に
「写真」と「解説」 追加しておきました。
小出しで申し訳ないですが、よかったら
読んでみて下さい。
by Hiji-kata (2007-10-04 18:17) 

Hiji-kata

◆梨花様  いらっしゃい!
ボクのささやかな 「黒澤イベント」に
ご来場頂き、ありがとうございます(^^)

>>森田版の椿三十郎は “ボロを着た・・・ヤツ”
>>ではないのでしょうか?

ドキッ! そこを突いてきましたか!
相変わらず鋭いなあ(笑)
じつは その・・・・・・
織田裕二大先生は、ボロを着てませんでしたっ!
監督の指示なのか、本人が嫌がったかは
定かではありません、ハイ!

ところで 「ボクの顔、三十郎の頃の三船にそっくりです」
と言ったら、信じますか?。。。。(^^)
真偽のほどは、maki さんに訊いてみて下さい。
(「隠し砦」のコメント欄からたどれます)

あと、「解説」追加しておきました。
よかったら、読んでみて下さい。。。。(^^)/
by Hiji-kata (2007-10-04 18:35) 

ハジナレフ

Hiji-kata さんが言われるのだから織田裕二版も見なければなりますまい!
最初は「えー」と思いましたが、三船ライクな人を連れてきて同じように撮影してもそれこそしょうがないということになりますよね。
考えを改めることにいたします。

実は三十郎は初めて買った黒澤映画のDVDでした。
じゃあ最初に見たのは何かと言えば、何故か「どですかでん」。
続いて「まあだだよ」でしたね。
多分BSあたりでの連続放送を見たのだと思いますが・・・。
そして「野良犬」は志村さんの演技がすばらしいと何かで読んでこれはレンタルで見ました。三船さんは別人ですね、三十郎の加山雄三さんも別人に見えましたが。

何をこれだけ見た!というような学生のような話ばかりで申し訳ないです。
ちなみに好きなセリフは
「椿・・・三十郎、もうすぐ四十郎だがな」
でキマリです!

ああ、いつも以上に内容の無いコメントですみません。
(毎晩お説に従って水を飲んでから眠っております!バファリンはとりあえず抜きで・・・)
by ハジナレフ (2007-10-06 23:09) 

Hiji-kata

聞くところによると、人の気質は大きくふたつに
分けられるそうです。
ひとつは「ハムレット型」、ひとつは「ドン・キホーテ型」。
「ハムレット型」とは、ネガティブシンキングの傾向が強く
いわゆる「アイデアいっぱい、行動ゼロ」の人。
「ドン・キホーテ型」は、ポジティブシンキングの傾向が強く
ひらめいたら迷わず行動に移す人。
たぶん、黒澤明も森田芳光も、典型的な「ドンキホーテ型」
なんでしょうね。
「信じたことは実現させる」・・・・・森田氏が そういうタイプ
の人だからこそ、少年の頃から変わらず黒澤監督を敬愛し、
“黒澤映画をリメイクする” という難事にも敢然と立ち向かう
ことができたのだと思っています。
映画の出来はともかく、その情熱には拍手を贈りたいですね。
by Hiji-kata (2007-10-08 01:58) 

jooo

はじめまして。
1年以上前の記事を読んでいただき、コメントやトラバまでいただき、ありがとうございます。
いよいよ森田版・三十郎が公開されるんですね。森田さんは原作があっても脚本には独自の世界をたっぷり注ぎ込む監督、というイメージがあったので、脚本をいじらないでそのまま使ったと聞き、かえって興味が沸いてきました。
「特報」画像を見て、椿の花が紅いことに新鮮さを感じました。
私は「乱」や「夢」など"色"を手にした黒澤さんの作品もとても好きで、モノクロ時代の作品もいくつかカラーで撮り直して欲しいなぁ、と空想していました。「椿三十郎」もカラー版を空想した作品のひとつです。
モノクロの世界から解き放たれた三十郎を、ちょっと見に行ってみようかな、と思っています。
by jooo (2007-10-09 22:08) 

Hiji-kata

jooo様 ご訪問ありがとうございます。
おっしゃるとおり、あの森田監督が脚本をいじらないで
そのまま使ったというのは ちょっと意外でしたね。
もっとも、この黒澤脚本を上回るものを書こうとすれば、
半年かけても足りない と踏んだのかも知れませんが。
黒澤映画の脚本を読むたびに思うことですが、余計な
言葉はひとつとしてないが、言うべきことは全部入って
いる、まさに「本」の中の本、完璧なお手本ですね。

「椿の花が紅いことに新鮮さを感じました」・・・・・まったく
同感です。鮮やかな椿の色が強く印象に残りました。
思う通りの色が出せないのでカラーを断念した黒澤さんが
今この映画の椿を見たら何とおっしゃるだろう、などと勝手
な感傷に浸りながらの観賞でした。。。。オヤジギャグでは
ありませんぞ(^^)
「“色”を手にした黒澤さんの作品もとても好きで、モノクロ
時代の作品もカラーで撮り直して欲しいなぁ、と空想・・・・」
そのお気持ち、よく分かります。
ボクも、深みがあって柔らかい あの“色使い”が大好きでした♪
「デルス・ウザーラ」・・・黒澤さんと一緒に観た唯一の映画です。
1975年 7月、旧有楽座のワールドプレミア会場2階席でした。
その時の黒澤さんは「乱」の頃とはまったく別人のようにやつれ、
痩身が痛々しかった。過酷な撮影の後遺症で足を引きずる巨匠
に、ボディーガードのように付き添う 目つきの鋭いひとりの男。
よく見ると加山雄三氏でした(笑)。彼の表情に メディアで見る
柔和さはみじんもなく “みけんのしわ”だけが印象に残りました。
握手して頂くために黒澤さんに近づくと、怖い加山さんにジロッと
にらまれました。(でも、した! 笑)
カラー作品というと、まっさきに「デルス」を思い出し、精悍な加山
氏を思い出す 「Hiji-kata」 でありました。

「乱」・・・・最後の神品。これも死ぬほど好きです!
「夢」・・・・「水車のある村」、1000回観ました!(笑)
“モノクロの世界から解き放たれた”今回の「椿三十郎」ですが、
近々に ご覧になる機会が訪れますよう願っています。
by Hiji-kata (2007-10-11 02:58) 

aia

こんにちは。日本に帰ったら見てみたいと思います。
リメイクは無理でしょうが、日本の映画がよくかかるパリだったら、オリジナル版は見られそうです。この記事を読んでいたらオリジナルが見たくなりました。
by aia (2007-10-19 07:50) 

Hiji-kata

ご訪問 ありがとうございます♪
コメントを読んで、パリのシネマテークを
思い出しました。
たしか、その時観た 「椿三十郎」 には 「Sanjuro」、
「用心棒」 には 「yojinbo」というタイトルが付けられ
ていたような・・・・・そんな記憶が残っています。
by Hiji-kata (2007-10-20 06:43) 

くるみ

nice&ご訪問ありがとうございました☆
織田裕二は、踊る大捜査線を見てちょっぴり好きになりました♪
映画は、子供が出来てからは行けてないです・・・。
もう少し大きくなってからw(*´∀`*)w ハハハァ
by くるみ (2007-10-29 16:42) 

Hiji-kata

こちらこそ、ご訪問とnice ありがとうございます。

「踊る大捜査線」の赤い煙のシーンは、黒澤作品
「天国と地獄」のパクリそのものでしたが、なぜか
許せました。。。年々“許容範囲”が拡大してます(^^)
そんなこともあってか、織田裕二自身、「椿三十郎」
の話が来た時には “不思議な縁”を感じたそうです。

数年後に、お子さんと一緒に映画館に行けるように
なるといいですね。
by Hiji-kata (2007-10-30 14:03) 

shim47

ご無沙汰しています。
 エントリーを読ませて頂いて、ロードショウに出かけてみようかと思っています。但し、オリジンとの直接比較はすべきではないな、という気もします。別の映画として見て、別の良さを発見するべきなのだろう、と。
 リメイクされるべきではなかった映画というのが幾つか、私には心当たりがあります。恐らく、同じ評価軸上で優劣比較すれば今回のリメイク版もその例に漏れなさそうな予感があります。
 ただ、「用心棒」も含めて三十郎(四十郎?)のパーソナリティは好きですし、本作のモチーフにも普遍性のある好ましさを抱いています。
 鑑賞する側としては前向きな姿勢ではないのでしょうが、リメイクに接することで改めてオリジナルの偉大さを認識するというのは効能と言えなくもないような屈折した期待を持っています。
by shim47 (2007-11-06 02:04) 

Hiji-kata

記事にも書きましたが、過去に黒澤版を観ている人は必ずと
言っていいほど、今回のリメイクに異を唱えます。
そして異口同音に 「信じられない暴挙だ!心から愛している
この映画のイメージを壊さないでほしい」 と言うのです。
それはそれでいいのですが 「それで 黒澤版は何回観たの?」
と訊くと 「1回だけど・・・・それが何か?」と、けげんそうな顔を
するわけです。 そこで私は 重ねてこう訊きます。
「じゃあ もちろん、あなたはリメイク版を観たんですよね」
すると決まって「観てない。見る気もしない」という答えが返って
きます。
これでは、まるで、かつて合衆国南部で行われていた黒人裁判
ではありませんか。“公開裁判” をやる前から、あいまいな記憶
や うわさの断片を根拠に、声高に有罪を叫ぶ。
これは「偏見」以外の何物でもありません。
まったく人間という生き物は21世紀になっても変わりませんね。
もちろん、黒澤と同等のものを作ることが奇跡に近いということは
誰よりも分かっているつもりです。
これだけは、黒澤版を100回以上観ている私だけに、自信をもっ
て言えます。でも、結論を急ぐ必要など全くありません。
リメイク版も、2回以上観てから結論を出そうと思っています。
nice! ありがとうございました。
by Hiji-kata (2007-11-07 15:02) 

びっけ

こんにちは。
「黒澤時代劇のリメイクにおいて守るべき6つのポイント」というのが、目からウロコでした。
そうかぁ、カメラアングルなども、踏襲すべきなんですね。
それだけ、オリジナルがよく練られて考えられている証拠ですね。
黒澤監督の「用心棒」は微かに見た記憶があるのですが、「椿三十郎」は未見です。
まずはオリジナルを観たいと思います!
by びっけ (2007-11-08 21:23) 

Hiji-kata

8日の昼下がりに、BSで「大菩薩峠」をやっていました。
この映画は 「赤ひげ」(1965) の翌年に岡本喜八によって
作られたものですが、「椿三十郎」で共演していた三船敏郎、
仲代達矢、加山雄三の3大スターが再び顔を揃えた貴重な
映画ということで 興味深く観ました。
結果は・・・・・・3人が全く別人に見えました(ガクッ!)
どうひいき目に見ても、3人が3人とも本来?の魅力なし。
どうして、ここまで惨憺たることになってしまったのか・・・・・。
岡本喜八といえば 東宝に富をもたらした有名監督ですが、
冷静に考えたら、彼の罪ではないな と思い至りました。
記憶をたどっているうちに、あの3人がそれぞれ単独で出て
いた映画での印象は、(黒澤映画”以外では)ほとんど同じ
ようなものだったな という感じでよみがえってきたからです。
とすると・・・・・もうこうなったら、黒澤明が「魔法使い」だった
ということで 説明をつけるしかないですね(^^)
nice! ありがとうございました。
by Hiji-kata (2007-11-09 05:11) 

ささ

原作の山本周五郎「日日平安」は読んだのですが。
残念ながら、映画は観たことが無いのですよね。
記事を拝見したら、両方見比べてみたくなりましたv
by ささ (2007-11-15 10:33) 

Hiji-kata

◆ささ様
あの「日日平安」がこんなことになっちゃって(笑)
周五郎自身、びっくり仰天したでしょうね(^^)
そう言えば「赤ひげ」の時も、俺の原作を越えてしまっている
と、あの滅多に人を褒めない周五郎が黒澤の才能にあきれ
返ったというエピソードを思い出しました。
nice!ありがとうございます。
by Hiji-kata (2007-11-16 02:53) 

かずぴん

はじめまして。ブログにコメントとTBありがとうございます。
hiji-kataさんの記事は内容が濃く、読んでいてとてもためになりました。
三船敏郎の命日はクリスマスイブなんですか!それにあわせてこの織田裕二版「椿三十郎」が公開されたとは知りませんでした。
三船敏郎と黒澤明監督の作品を今回の織田裕二と森田監督が超えるとも思えないし、越えなくてもいいと思います。というか、比べる必要はまったくないと思います。「比べても意味がない」という意見に賛成です。現在の娯楽映画として楽しめれば、それに、三船敏郎の映画を見るきっかけになればそれでいいんじゃないかなって思います。
TBさせていただきました。これからもよろしくお願いします
by かずぴん (2007-12-07 19:03) 

Hiji-kata

◆かずぴん様 いらっしゃいませ♪
>>三船の命日は クリスマスイブ?
そうなんです。1997年12月24日、三船敏郎は77年の
生涯を閉じました。訃報を聞いた黒澤明は急速に衰えを
見せ始め・・・・・翌年9月、あとを追うように亡くなりました。
黒澤映画を愛する世界中の人が悲しみにくれた1年でした。
新「椿三十郎」制作に携わった角川春樹氏や森田監督も、
そんな熱烈なファンのひとりだと聞きました。
今回の主演にあたって、生まれて初めて “黒澤&ミフネ”に
接した織田裕二氏も、すっかりファンになったと言ってましたね。
かずぴんさんのような映画を愛する方々に、長く語り継いで
もらいたいという願いを込めて作られた今回の「椿三十郎」が、
これからさらに開花し“大輪の花”になっていくといいですね(^^)
by Hiji-kata (2007-12-08 17:50) 

草葉の五十朗

 初めてお邪魔します。
 僕は黒澤監督と「フォロー・ミー」、そして中島みゆきがたまらなく好きな者です。Hiji-kataさんの黒沢監督諸作品にたいする見識、感想は一々頷くものばかりで感服しています。新作「椿三十朗」に寄せる意見は、故山本夏彦氏の「汚職は国を滅ぼさぬが、正義は国を滅ぼす」と云う言葉を思い起こさせ、自身を見つめ返しています。
 さて、テーマ違いで恐縮なのですが、Hiji-kataさんの意見を伺いたく書き込みます。それは「どん底」と「人情紙風船」についてです。僕は話が辛過ぎて、どちらも一度しか観ていませんが陰の「人情紙風船」、陽の「どん底」で双方共互角且つ傑作だと思っています。PCLに入社した黒澤監督と、移籍してきた山中監督は短い間ですけど一諸でしたし、一時期黒澤組の合言葉が「山中貞雄に追いつき、追い越せ」だったと云う話も聞いた事があります、Hiji-kataさんは上記二作品については、どういう意見をお持ちでしょうか、宜しかったらお聞かせ下さい。
by 草葉の五十朗 (2007-12-09 02:03) 

Hiji-kata

「人情紙風船」は ずいぶん前に一度しか観たことがなく、
ほとんど全ての場面を忘れてしまっている現状です。
したがって 簡単な感想を述べることすら出来ません。
「丹下左膳余話・百萬両の壺」のほうが、より多くの場面を
思い出すことが出来ますが、その理由までは分かりません。
「どん底」についての意見ということですが、この作品は既に
記事にしています。現時点で それ以上の感想はありません。
by Hiji-kata (2007-12-11 06:28) 

みなみ

こんにちは
こちらの記事、読ませて頂きました。
深い考察や情報が満載で とても勉強になりました。
新作は あらゆる意味でオリジナルを越えられなかったと思うのです
が、最も悪い所はどこだったのでしょうか。
悪かった点、その「ワースト3」あたりを教えてください。
それと、具体的に、どう改良すればぐっと良くなると思われますか?
この点も合わせて教えてください。
by みなみ (2007-12-11 12:30) 

はじめまして。柚子と申します。
ご訪問ありがとうございました。しかも私の子どものような感想文にコメントまでいただき、うれしいやらはずかしいやら。

こちらでじっくりと「椿三十郎」の映画について読ませていただきました。リメイク版についても黒沢版についてもほとんど知識なして見たのですが、いろいろと知って見るとまた違った風に見られて面白そうだなと思いました。
とにかく黒沢版をみなくては!!と思います。
本当に脚本が素晴らしいというか、これぞ娯楽作品だと、私はあまり何も考えずにそう思って楽しみました。

もう一度黒沢版を見てからリメイク版を見てみたいなと考えています
by (2007-12-16 23:20) 

Hiji-kata

みなみさん こんにちは。
不本意ながら 返信が遅れ気味です。ごめんなさい。
それにしても、ずばっと核心に切り込んだ質問ですね(^^)
腰を据えて じっくり考えてみたいテーマではありますが、
残念ながら 今はそんな余裕もなく、本年中は厳しいかも
知れません。年が明けてからでも自分なりの考えをまとめ、
ブログに書ければ と思ったりしています。
ただ・・・・・「あらゆる点でオリジナルが優位に立つ」なんて
ことはないと思いますよ。
なにしろ、新作は “カラー”ですから(笑)
やっぱり 色彩の持つパワーは侮れませんぞ。
「モナリザ」にしても、ゴッホにしても、モディリアーニにしても
それらがもし墨の濃淡だけで描かれていたなら、これほどの
評価は得られなかったはず。 そう思いませんか(^^)
また、新作の弱点(改善点)は? ということですが、特に目立つ
ものとして、“ノーブレス”が、藤田まことを除いて 全然出来てい
なかったことです。(「ノーブレス・オブリージ」ではなく)
その重要性を理解出来ていないのは、私にはショックでした。
時代劇において、芝居の流れにテンポを与える「ノーブレス」即ち
「息継ぎをしないせりふの言い方」は、現代でも欠かせない重要な
技術ですが、それを成立させるには徹底した「本読みと立ち稽古」
が不可欠です。
リハーサルが不徹底のまま“イッキ読み”をやると、膨大なフィルム
がゴミになり、制作期間が延長され、いきおい費用は倍増と、収拾
がつかなくなります。
そんなわけで、せりふの途中に息を継がせ “かむ”確率を ぐぐっと
減らしたものと お見受けしました。
でも 撮影前に 監督が演出プランをビシッと示しておきさえすれば
役者の芝居も どんどん固められ、費用や期間を大きく超過せずに
済むのですが・・・・・・。
たとえ自分で脚本を書かずとも、それは出来たはずなのになあ。
by Hiji-kata (2007-12-19 12:46) 

Hiji-kata

柚子さん こんにちは。
ある批評家の「椿三十郎」評の一節に こんなのがありました。
「・・・・・三十郎と室戸半兵衛はひとつのカードの裏と表なのだ。
抜群に頭が切れ 剣の腕も立つが、組織で人に使われることに
満足しない二人は 立場は違っても本質は同じ。だから 二人は
相手の中に自分と同じ匂いを嗅ぎ、長年の知己の如く酒を酌み
交わす。そして、ほとんど相手のことを知らぬまま胸の内を打ち
明けたりするのだ。三十郎にだまされた半兵衛の激しい怒りは
胸襟を開いた唯一の“親友”に裏切られた気持ちから発したもの
に他ならない」
この人も ご多分にもれず、黒澤明による完全無欠の豪腕演出と
仲代達矢の稀代の名演に 完全にだまされてますねェ(笑)
でも 無理もありません。 誰だって そうなりますって!
かつて私も そうでしたから。。。f(^^)
ホントにもう 「黒澤演出」は 冷静な判断なんてムリ!って感じに
させられちゃうんですよ(^^)
冷静に映画を観れば(頼みもしないのに)勝手に相手を見込んで
屋敷に招き入れたり、一方的な“友情”を押しつけて酒を勧めたり、
あげくに裏切られたと逆上したりと、軽率この上ないひとり相撲の
すえに斬殺されてしまうという、何とも救いようのない間抜けな男
が一人いるだけなんですが・・・・・いやァ それに気づくのに20年
かかってしまいましたよ(笑)その間、騙されっぱなし。。。。f(^^)
「菊井の懐ろ刀」という台詞はあるものの、実際に 「参謀(シンク
タンク)の任を担っている」のは菊井であって、室戸は、あくまでも
「すご腕の剣の使い手」 というポジションなんでしょうね。
だからこそ 室戸が、(重要な人質である)奥方を奪還されるという
致命的なミスを犯しても 全く責めを負わずに済んだのでしょう。
しかし 何度も言うようですが、黒澤のケタ外れの演出力によって、
室戸という男が「三十郎と互角に渡り合う超切れ者」に見えてしま
うから不思議なんです。
黒澤監督のねらいとしては、室戸のキャラクターを、「姿三四郎」の
「桧垣源之助」 のようなイメージの敵(かたき)役にしたかったので
しょうが、何ぶん「三四郎」の頃とは 演出力が違い過ぎました。
by Hiji-kata (2007-12-19 13:02) 

ハジナレフ

こんにちは、御無沙汰しております!
今年は大変お世話&御迷惑をおかけしました。
そしてブログを通じていろいろなお話をありがとうございました。
Hiji-kataさんの記事を読むにつけ、自分の厚みのなさを痛感するばかりです。
また勉強させていただきに参ります。

来年はHiji-kataさんにとって飛躍の年でありますように!
それではよいお年を~!
by ハジナレフ (2007-12-31 11:46) 

Hiji-kata

多忙で 御無沙汰しておりました。
良い正月を迎えられましたか?
今年も良い作品を期待しています。
仕事もあるので大変でしょうが頑張って下さい。
ところで、「チェ・ゲバラ」のエピソードを
入れてなかったので、追加しておきました。
とりあえず お知らせまで。
by Hiji-kata (2008-01-03 07:56) 

mitsuya

黒澤版、観ましたよ!
非常に楽しい作品でした♪
三船敏郎の粗野な魅力と作品に散りばめられたユーモアが
見事にマッチしていました。
とにかく、こんなに笑える作品だとは思ってませんでしたので、
良い意味で裏切られた感じですね。
突っ走る若侍たちとブレーキ役の三十郎のやり取りが非常に
良かったです(見事な台詞まわし……リハーサル完璧ですね)。
このまま ゆるーい感じで終わるのかと思いきや、ラストの
決闘でビシッと締めるあたりは さすがって感じでした(^^)
by mitsuya (2008-01-06 05:46) 

Hiji-kata

おお、ついに観たんですね(笑)
かなり面白かったとのこと、何よりでした(^^)
やはり この映画、あの三谷幸喜が密かに目標にしている
だけのことはありますね。
私は 「椿三十郎なんて面白くない」と言う人にまだ遭った
ことがないんですが、考えてみると、それって凄いことなの
かも知れませんね。
by Hiji-kata (2008-01-07 12:25) 

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