佐賀北 劇的な優勝! [スポーツ]
佐賀北 歓喜の瞬間! (甲子園球場 2007. 8. 22)
2007年 8月22日(水)
第89回全国高校野球選手権大会・第15日
〈決勝〉 佐賀北 5 - 4 広陵
8回の佐賀北の攻撃が始まったとき、スコアは 0-4。
佐賀北の劣勢は 誰の目にも明らかだった。
ここに来ての4点差は大きい。
しかも、広陵・野村投手は ここまで一分のスキも見せない。
7回までに与えたヒットは わずか1本。
.
.
この辺りで テレビ観戦をやめた人が少なくなかったという。
彼らは あとで結果を知って、世紀の逆転ドラマを見逃した不運
を 激しく後悔することになる。
.
◆ ◆ ◆
ベンチには 重苦しい空気が漂っていた。
かろうじて ノーヒット・ノーランを免れていた佐賀北は
8回の攻撃前、何とか反撃の糸口をつかもうと円陣を
組んだ。
・
・
・
・
しかし、頼みの先頭打者が退けられ 簡単にワンアウト。
百崎監督が 「もうダメかもな」 と内心あきらめかけたとき、
久保が ヒットで一塁に出た!
1アウト 一塁。
ここで何とかしなければ、チャンスは永遠に去ってしまうだろう。
51歳の智将の頭脳が動き始める。
.
代打・新川(にいかわ)
観ていた多くの者は、この起用が“勝利の呼び水”になるとは
思っていなかった。
甲子園では、往々にして 「記念打席」 が有り得るからだ。
ところが そうではなかった。
佐賀北は、巧打者 新川に勝負をかけていたのだ。
。
。
この左打者は、足元に鋭く曲がり落ちる難しいスライダーを、
まるでねらっていたかのようなフルスイングで打ち返した。
目の覚めるような鋭い当たり。
落ち際を完璧にとらえた打球は、あっという間にライトに達した。
プロ顔負けの見事なバットさばきだった。
・
・
・
空振りをねらって自信を持って投げ込んだ決め球のスライダーを
確信に満ちたスイングで打ち返された野村は 内心がく然とする。
なぜだ!
それまで バットにかすることすらなかった “落ちるスライダー” を、
控え選手ごときに、いとも簡単に打たれてしまったのはなぜだ !?
自分の球威が衰えたのか。
それとも、相手ベンチはスライダー1本に ねらいを絞っているのか。
思いは ぐるぐると駆けめぐった。
野村にとって、代打で出て来た2年生・新川が、スライダー打ちに
かけては、佐賀県を代表するほどの技術を持った打者であること
など 思いもよらぬことだったのだ。
野村の脳裏を 不気味な幻影がよぎった。
勝負の機微。 ターニングポイントだった。
動揺が収まらない野村は、突如制球がおぼつかなくなり、
次打者・辻に対して 簡単に四球を与えてしまう。
ついに満塁!
佐賀北に大きなチャンスがめぐってきた。
球場全体が うなるような声援と手拍子に包まれた。
。
。
(2球ほど微妙なボール判定があって) 2番井手が連続四球を
選び、難なく 「押し出し」の1点を絞り出す。
3塁走者久保が 勇躍ホームを踏み 1-4。
場内の興奮は さらに高まり、地鳴りの如き声が轟(とどろ)く。
・
・
すべてのお膳立てが整ったとき “主役” が登場する。
右打席に入ったのは 強打者の 3番・副島。
1球目 ファウル。2球目は胸元をかすめる危険なボール。
並のバッターなら、押し出しを狙って自分から当たりに行くところだ
ろうが、この強打者の頭には、そんな小賢(こざか)しいイメージは
なかった。
無欲なのか、それとも さらに大きな獲物をねらっているのか。
そして、3球目 ・・・・・全国高校野球ファンの見守る中、
驚くべき “奇跡” が起きた。
【八回裏 一死満塁、左中間にホームランを放つ副島】
。
なんと ! 逆 転 満 塁 弾 !!
・
・
今夏、佐賀北ナインに力を与え続けた “野球の神様”。
彼は、この夏 最後の贈り物として、起死回生の満塁ホームラン
を贈り届けると、誰にも気づかれることなく静かに去っていった。
奇跡が訪れた瞬間、観客は、何が起きたかすぐには理解できず
球場は一瞬 しーんと静まり返った。
念力が通じた!
そう思った人は、私を含め、全国に何百万もいたことだろう。
多くの人が、文字通り 狂喜乱舞した瞬間だった。
・
・
先にホームインした3人に迎えられる副島(背番号5)
。
。
◆ ◆ ◆
。
。
めったにない感動を味わった夏の午後。
すべてが素晴らしかったかというと、そうではない。
ひとつだけ 残念なことがあったのだ。
それについて、どうしても触れておきたい。
満塁弾の直前、 井手が満塁から押出しの四球を選んだ。
その 「ボール!」 とコールされた2球目、5球目は、かなり
“微妙” な判定であった。
「微妙」・・・・野球界の “業界用語”で、「判定ミス」 の際に
無難な表現として用いるポピュラーな用語である。
野球を生業(なりわい)にしている人が当たり障りない言葉を
使うのは仕方がない。
だが、私は高野連関係者でも野球業界人でもないので遠慮
なく言わせてもらおう。
あの判定はおかしかった! と。
。
数人の知人たちも ストライク! と思ったという。
試合後、録画再生画面を繰り返し見ても、やはり同じだった。
念のため、画像解析ソフトを使って “3次元解析” もやってみたが、
結果は やはり ストライク と出た。
しかも、「ギリギリのストライク」 などではない。
ゾーンの最低部まで、最小値で約8cmの余裕があったのだ。
いや、そんなものを用いずとも、野村投手の困惑しきった表情を
見れば 野球好きなら 誰でもすぐに分かる。
あの判定は誤審である と。
。
・
・
・
・
・
・
・
野村は、いわゆる“野球エリート”である。
彼の球を受ける小林も同様だ。
小学低学年から徹底して野球に取り組んできた二人は、野球の本質
を 体に叩き込む訓練を重ねながら、同時に多くの審判を見てきた。
その10年近いトップレベルのキャリアから、二人はストライクゾーンの
何たるかを 十分理解していた。
「ストライクゾーン」 とは ある程度 幅のあるもの、個々の審判の主観
で ストライクにも ボールにもなる 曖昧(あいまい)なものであることを
身をもって学び 熟知していたのだ。
だから、少々の “際どい判定” に対しては、露骨に不満を表すような
みっともない真似は絶対にしない。
うるさく言われているから我慢する というのではない。
何より プライドが許さないのだ。
野球エリートとして修練を積んできたプライドが!
.
.
そう、広陵のバッテリーは、少々の“微妙な判定”に異を唱えるほど
無知でも粗野でも卑怯でもない 極めて礼儀正しい少年たちだった。
それまで甲子園の全試合で、どちらにも取れる際(きわ)どいコース、
高低のジャッジに対し、冷静にそれを受けとめ、努めて淡々と試合に
臨んできた二人の野球秀才が、あの時に限ってなぜあれほど困惑し
動揺したのか。 それは いったい 何を物語るのか。
二人の表情から、その時ホームベース付近で何が起こっていたのか
推測してみてほしい。
。
。
ひとつ断っておくが、私が応援したのは佐賀北である。
だから、佐賀北の逆転優勝は飛び上がるほどうれしい。
そんな私でも、あの1球の判定には許せないものを感じたのだ。
佐賀北を必死に応援していた私でさえ そうなのだから、野村投手の
混乱、悔しさ、心細さ、絶望感は如何ばかりだっただろう。
あの判定で完全に混乱し、冷静さを失い、自ら崩れていった野村。
だとして、いったい誰が 彼を責めることができるだろう。
彼は審判を信じられなくなっただけでなく、“野球そのもの”を信じら
れなくなっていたのだ。 もはやこれは尋常な精神状態ではない。
野村投手は そこまで追い込まれていた。
その理不尽さ、つらさ を思うと、怒りと同情を禁じえない。
。
。
。
◆ ◆ ◆
・
・
どのスポーツにも “誤審”はある。
だからこそ、陸上にしても、水泳にしても、テニスにしても、相撲に
しても、“科学の目”を導入し、新たな誤審が起こらぬよう ベストの
体制を作ろうと努力しているのだ。
これに対し 野球は旧態依然である。100年前から進歩がない。
今さら判定は覆(くつがえ)らないのは承知している。
ただ、高野連が全国高校球児の2年半の涙と汗をどう考えているのか、
ぜひ訊いてみたいと思った。
。
。
。
・
審判は、精神的にも肉体的にも大変な重労働である。
そして、試合の主審を務めた桂氏は58歳。
58歳ともなると、動体視力は極端に落ちてしまっている。
40歳を過ぎると、その衰えは はっきり自覚できる。
そこに あの酷暑だ。
「主審は熱中症寸前だったのかも知れない」
そう思ったのには根拠がある。
新聞に載った桂氏の弁明コメントを読んだのだ。
■桂等球審(58)は、8回の押し出し四球となったボール球に
ついて、き然とした姿勢で こう説明した。
「低いと思った。ミットが下から上に動いていた。
ボール、ストライクは私の責任。
(判定にも)バラつきはなかった。あれは低かった」
このコメントに首をかしげる向きは多いだろう。
なぜなら 何度ビデオを見ても、小林捕手のミットが
「捕球動作以外の何の動きもしていない」 からである。
今どき そんな愚かな小細工をする捕手は、甲子園にはいない。
いや、最近は県大会でも滅多に見なくなった。
それをやっても、ストライクをボールにされるのがオチだからだ。
今やそれは、全チームのすべての捕手が知っている常識といっていい。
もはや、明らかに損だと分かっている愚行を誰がやるだろう。
少年だからと なめてはいけない。
百歩譲って、「ミットが動いていた」 としよう。
しかし、それが “ストライク判定”と どう関係するというのだろう。
ストライク(ボール)判定とは、あくまで ホームベース上を通過する
投球の軌跡を見極めること以外になく、ミットの動きや捕球位置から
投球の通過軌跡を推測することでは決してない。
みずから 「ミットの動きを参考にした」と言うこと自体、当時の桂氏の
動体視力(ジャッジ能力)が かなり おぼつかない状態にあったことを
広く世間に告白しているに等しい。
・
・
もとより、主審だけを責める気などハナからない。
これは 組織とシステム全体の問題 なのだ。
50歳をとうに過ぎた審判を、あんな酷暑の中、酷使する無神経は
もはや健全さを失った組織である何よりの証拠だろう。
審判の育成を怠り、派閥抗争や金銭勘定にばかり明け暮れてきた
そのツケは余りにも大きい。
高野連よ、
こんな お粗末なジャッジは 二度とゴメンだ!
だから、“補助”でいいから 「3次元画像解析」を導入してみてくれ。
このシステムを、審判の補助(助手)として試験的に導入するだけで、
審判の判定技術は格段に向上する。
それだけは保証する。
権威の上にあぐらをかく者は、必ず堕落する。
そして、原始的独断的判定にすべてを託す時代は もはや古い。
もし、このままでいい と言う高野連の参事がいたら、ぜひメディアで
説明してほしいものだ。
私は “過去の亡霊”たる高野連の御老体諸氏に こう問いたい。
懸命に頑張ってきた少年たちを、
これからも理不尽に泣かせるつもりですか、と。
。
。◆新聞報道◆
。
。
■また“奇跡!” 逆転満塁弾で佐賀北V
8回。1点を返して、なおも1死満塁。
手拍子がわき、観客席のあちこちから声援が飛ぶ。
異様とも言える雰囲気の中、副島は広陵・野村の投じたスライダーを
強く叩いた。
打球は大歓声に後押しされるように高く飛び 左翼席に届いた。
甲子園では何だって起こる。逆転の満塁本塁打に銀傘が揺れた。
「球場全体が佐賀北を応援してくれているように感じた。言葉にならない
くらいうれしい。信じられない。幸せです」(試合後の副島のコメント)
開幕の福井商戦で大会1号を放った副島が、夏の大会通算30本目の
グランドスラムで締めくくった。
13年前の94年。
佐賀商も佐賀北と同じく開幕試合を制し、決勝では西原主将の劇的な
決勝満塁本塁打で全国の頂点に立った。そして 歴史は繰り返す。
「凄いつながりを感じる」と副島は言うが、決勝で逆転の満塁本塁打を
放ったのは大会史上初めてのこと。
延長15回引き分け再試合、王者・帝京からのサヨナラ勝ち・・・・・・。
誰もが経験できることではなかった。
副島は佐賀・城南中では、今秋ドラフトで上位指名が確実視される高浜
(横浜高)を差し置いて4番を打った経験を持つ。
しかし、高校では今年の佐賀大会まで公式戦の本塁打は1本もなかった。
佐賀北ナインは全員が地元出身。
しかも、全員が中学時代に軟式の経験しかない。
眠っていた才能を呼び起こされたように、しゃく熱の甲子園が、普通の高校
生を日本一の球児に育て上げた。
「野球の神様が味方をしてくれた。佐賀商のビデオを見ているようでした」
こう言った百崎監督は 「信じられない」を連発した。
特待生問題で揺れた89回目の夏。高校野球の在り方が問われた年に、
公立の普通校が深紅の大旗を手にしたのは象徴的だった。
(公立校の日本一は、96年の松山商(愛媛)以来11年ぶり。)
佐賀北高は、どこにでもある県立校だ。
県内の他校と比べても、決して練習環境が恵まれているとは言えない。
放課後の練習は午後7時30分までで、試験前1週間は部活動を休む。
「練習時間が短いことは特にハンディとは思っていないし、野球に打ち込
みたかったら勉強も頑張らなければ」 というのが百崎監督の指導方針。
だからこそ、快進撃の裏には たゆまぬ努力が隠されている。
土台になっているのは徹底した基礎練習。
久保は冬場にチーム一走り、タイヤを引っぱった。
体力をつけることで自信もついた。
九州の強豪校と積極的に練習試合を組み、試合後は必ず選手自身が
相手ベンチに出向き、よかった点、足りない点を指摘してもらった。
「甲子園にいくだけではダメ。ベスト8ぐらいに入ろう」
無名の県立校を甲子園に率いた経験を持つ百崎監督は選手にそう語り、
全国のレベルを常に意識させた。
監督の指導方針に選手から不満が噴出し、チームが空中分解しかかった
こともある。吉冨寿泰・野球部長(41)は 「あのころは底だった」 と言う。
ミーティングで納得できるまで話し合い、結束を強めてつかんだ栄冠だった。
殊勲の副島は言う。
「ウチには プロに行くような選手はいません。だから自分たちが日本一なんて
夢みたい。常にチームが1つになって勝ってきた。それが高校野球だと思う」
合わせて 73イニング、16時間11分。
全国の高校球児たちの中で “最も長い夏”が終わった。
<8月23日 スポーツニッポン>
■運命的な満塁弾
特待生問題とは無縁の公立進学校が、全国4081校の頂点に立った。
センバツで3度優勝の広陵は、夏の決勝3度目の挑戦も初優勝はならなかった。
八回、1点を返してなお一死満塁。広陵のリードは3点。
副島の放った一撃は、三塁側アルプス席を埋め尽くした佐賀北応援団の前を
通過して左翼席に消えた。
値千金の逆転満塁本塁打。高校球史に残るサプライズ弾。
「がばい!(すごい)」 三塁側の佐賀北スタンドでシンボルカラーの緑が揺れた。
「信じられない。応援がものすごかったので、その思いが乗り移った感じです」
副島の声が弾んだ。 副島選手の母・伊都子さん(43)は 「息子は野球一筋で、
家に帰っても いつも素振りをしていた。夢みたいです」 と涙声になった。
「大学では遊ぶつもりだったけど自信ができた。野球を続けます」と副島。
佐賀県勢の優勝は、佐賀商以来13年ぶり。
94年夏の決勝、同点の九回、佐賀商は同じく勝ち越し満塁本塁打で頂点に
登りつめたが、決勝での「逆転満塁弾」は佐賀北が史上初。
当時の佐賀商監督・田中公士さん(66)は22日、甲子園で観戦し 「打球が飛
び込んだ場所はあの時と全く同じ。こんなことがあるなんて・・・・・」 と絶句した。
当時、決勝の樟南(鹿児島)戦で満塁本塁打を放った佐賀市の会社員、西原
正勝さん(31)は、市内の勤務先でテレビ観戦。
「13年前、僕の体がパッと反応した。副島君もそうだったのでは」 と話した。
2回途中からリリーフした久保投手が、広陵のエース・野村を空振りの三振に
仕留めてゲームセット。ナインの歓喜の輪ができる。
副島はその輪の中に思いきり飛び込んでいった。
開幕試合、延長十五回引き分け再試合、サヨナラ勝ち、そして優勝。
自由時間に大阪・心斎橋でグリコの看板をバックに記念撮影をしていた丸刈り
の球児たちが、甲子園で5万観衆の大拍手を浴びた。
「最高の夏でした。時間は限られていますから、基礎練習に時間を割きました。
体力では私学に負けない。それが最後に生きたと思う」
国語科の教諭として母校に赴任して4年目の百崎敏克監督(51)も感無量だ。
年間の部予算は60万円。遠征も1泊限定。県内でも有数の公立進学校。
制約は多い。それでも頂点に立った。
原点は指揮官の意識革命。全部員58人との交換日誌で、常に甲子園を
意識する気持ちを持たせた。
「おれたちでもやれる」の思いが、普通科中心の公立校では84年の取手二高
以来となる優勝として結実した。
特待生問題に揺れる高校球界において、この夏 無敗で駆け抜けたのは、
特待生には無縁の公立進学校だった。
決勝の先発メンバーのうち6人が身長1メートル60台と、他チームに比べ
体格では劣っていた。
でも 「やれば、できる」。
全体練習は毎日約3時間。 が、選手たちは 夜間照明が消えた後も居残り、
近くのスーパーの明かりを頼りに、500本の素振りを重ねてきた。
練習禁止の試験期間は 「勉強会」を開き、互いに教え合い連帯感を強めた。
試合後、市丸主将は 「短時間に集中して取り組み、全員野球につながった」
と話した。
エース久保らの担任、山口敦教諭(38)は「普通の生徒たちなのに 本当に
頼もしい」と笑顔を見せた。
佐賀北が全国の公立校の仲間へ熱いメッセージを残して、暑い夏が終わる。
<8月23日 読売新聞>
ボールの中心より わずか下を叩くのが本塁打を打つ“究極のテクニック”。
ボールに強烈なスピンをかけることで飛距離が伸び、スタンドまで届くのだ。
写真を見る限り、副島選手が ホームランを力まかせではなく、技術で打って
いることが分かる。彼は長距離打者としての天性の素質を持っているようだ。
素質を見抜いた百崎監督は、彼だけは左打ちに転向させなかった。それが、
土壇場での決勝ホームランにつながった。
▼副島浩史(そえじま・ひろし)三塁手
1989(平成元)年5月31日 佐賀市生まれ。179cm 74kg、右投げ右打ち。
あの長嶋茂雄氏と全く同じ体格。打撃フォームも どことなく似ている所がある。
小学4年で野球を始め、佐賀・城南中では横浜高・高浜選手とチームメートで
全国3位に。高浜と一緒に 「佐賀商で甲子園」が夢だったが、高浜が横浜高に
進んだため、大学進学に目標を切り替え 佐賀北高に。 高校通算15本塁打。
■広陵監督が“疑惑の判定”に決意の発言
「教育者として言う権利はある」
大会決勝で4-5で佐賀北に敗れた広陵。
試合後の広陵ダッグアウトが涙に包まれる中、判定を巡っての
決意の発言が聞こえた。
本当は「何か」を言いたい。
“疑惑の判定”に野村祐輔投手(3年)が泣いた。
「悔いはない。審判が正しいから仕方がない」
魔の八回だった。
一死満塁。 井手へのカウント1-3からの5球目。
真ん中低めの真っすぐに 球審の手は挙がらなかった。
押し出し四球。
直後、副島に満塁弾を浴びた。
「誰が見てもおかしい。批判の声はあるだろうが言わないと変わらない。
教育者として言う権利はある。 監督をやめてもいいと思うくらい悔しい」
中井哲之監督(45)は教え子たちの思いを代弁した。
熱中症に苦しんだ分だけ、勝ちたかった。
「選手はよくやった。負けを受け止め、今後の人生に生かしてほしい」。
中井監督のその言葉を、野村は黙って聞いた。涙はなかった。
センバツを3度制しながら、40年ぶり3度目の決勝進出で、夏の優勝は
またしても・・・・・・。
古豪の夢は後輩たちに託された。(阿部祐亮)
<8月23日 サンケイスポーツ>
■広陵監督 「判定 ひどすぎる」
怒りに震えていた。
40年ぶり3度目の決勝で敗れ、悲願の夏Vを逃した広陵・中井哲之
監督(45)は、8回の審判の判定に本心を隠さなかった。
「ストライク・ボールで、あれはないだろうというのが何球もあった。
もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないか。負けた
気がしない。言っちゃいけないことは分かっている。でも今後の高校
野球を考えたら…」。試合後のベンチで思いを吐き出した。
特に問題視したのは、4点リードの8回裏1死満塁。
カウント1-3から、エース野村祐輔(3年)が投じた1球だ。
佐賀北・井手に、外角低めにこん身の直球を投げた。
しかし桂球審の判定はボール。押し出し四球で1点を与え、続く3番
副島の逆転満塁弾につながった。
ボール判定の時、普段はポーカーフェースの野村が驚きの表情を
浮かべ、捕手の小林誠司(3年)はミットで3度地面を叩いた。
この光景が中井監督の胸を打った。
「あの1球は完ぺきにストライク。 ウチでは、審判の判定にどうこう
言う教育はしていない。その子が言ってくるんですから・・・・・・・・。
キャッチャーは 『どうしたらいいですか?』 という顔をしていた」
7回まで1安打の好投も逆転負けを喫した野村は 「狙った所には投げた。
思い切って投げたので悔いはない」と話すにとどめた。
選手は不平を言えない。
同監督は宿舎に戻っても収まらなかった。
「子どもたちは命を懸けてやっている。審判の権限が強すぎる。高野連は
考えてほしい。これで辞めろといわれたら監督をやめる」。
3度目の決勝も敗れ、後味の悪い夏の終わりとなった。(田口真一郎)
<8月23日 日刊スポーツ>
■高野連が中井監督を厳重注意へ
中井監督の発言を受け、日本高野連の田名部和裕参事(61)は
「審判も人間だから難しい。アマチュア野球の世界で言ってはいけない
コメントだと断言します」 と批判。
23日、大阪市内で準優勝報告会が行われるが 「そこで厳重注意を
しようと思っています」と話した。
■日本高校野球連盟(高野連)の田名部和裕参事(61)は23日、大阪市
内で行われた広陵(広島)の「準優勝報告会」で、22日の決勝戦後に審判
批判をした広陵・中井哲之監督(45)に対し口頭で注意したことを明かした。
脇村会長(75)が中井監督に、「野球において審判の判定は最終のもので、
それに異議を挟むことはできない。指導者として十分注意してほしい」と話し、
中井監督は 「申し訳ありませんでした」 と謝罪したという。
田名部参事は、「処分など、それ(口頭注意)以上のことはありません。」と
説明した。
中井監督は佐賀北との決勝戦後、球審のストライク、ボールの判定に対し、
「誰が見てもおかしい」 などと批判した。
<8月24日 サンケイスポーツ>
■広陵・中井監督が謝罪
夏の甲子園で準優勝した広陵・中井哲之監督(45)が23日、決勝戦の
判定に不満を漏らした件で日本高野連に謝罪した。
優勝報告会のため大阪市内の朝日新聞本社を訪問し、学校長同席の
上で、脇村春夫会長(75)田名部和裕参事(61)と会談。
「野球は審判が最終の判断を下す。それをよく理解するように」と同会長
から注意を受けた。
中井監督は「選手の悔しい思いを代弁し、つい口から出てしまった。
申し訳ありません」と反省した。
帰りは決勝を戦った佐賀北と同じ新幹線に乗り合わせ、百崎敏克監督
(51)とナインに「おめでとうございます」と初優勝を祝福した。
広島駅では約1000人のファンが出迎えた。
中井監督は、「常に日本一を狙えるチームをつくりたい」 と新チームでの
再出発に意欲を見せた。
<8月24日 日刊スポーツ>
■広陵・土生主将 「胸を張って帰りたい」
土生主将は逆転負けにも「力を出し切れた。これ以上ない3年間だった」
と達成感をにじませた。
試合中は「勝っても負けても最後の試合。楽しもう」とナインに声をかけ続
けたという 。
「胸を張って帰りたい。佐賀北には最後まであきらめない執念を感じた」と
優勝校をたたえた。
◆日本選抜チーム発表◆
日本高野連は22日、米国で9月上旬から開催される日米親善試合に出場する日本選抜チームの18選手を以下の通り発表した。監督は佐賀北の百崎敏克監督が務める。コーチは広陵の中井哲之監督が体調不良を理由に辞退したため、長崎日大の金城孝夫監督に委嘱されることになった。
▼投手 久保貴大(佐賀北) 野村祐輔(広陵) 浦口侑希(長崎日大)田中健二朗(常葉菊川) 熊代聖人(今治西) 森田貴之(大垣日大)佐藤祥万(文星芸大付) 佐藤由規(仙台育英) ▼捕手 市丸大介(佐賀北) 上戸彰(長崎日大) 石岡諒哉(常葉菊川) ▼内野手 副島浩史(佐賀北) 土生翔平(広陵) 長谷川裕介(常葉菊川)渡辺侑也(聖光学院) 中村晃(帝京) ▼外野手 檪浦大亮(広陵) 持田達也(日南学園)
<8月23日 朝日新聞>
■インタビューダイジェスト
◆百崎監督 「いや、もう(絶句)・・・・何が起こったのか分かりません。
信じられない ・・・2点差なら何とかなると思ったが、七回に2点取られ、
正直 もう駄目かと思いました。 (選手には)最後の2回に高校生活の
すべてをぶつけろ、と言いましたが、まさか あそこでホームランが出る
なんて(絶句)・・・・最後まで野球の神様が味方してくれました」
◆久保貴大投手 「1勝して校歌を歌えればいい と思っていました…
(優勝の瞬間は) 頭が真っ白になりました。何も考えられなかった」
◆市丸大介捕手 「こんなにすごい応援は初めて。優勝旗がこれほど
重いとは思わなかった。(今振り返れば) ホントにきつい練習ばかりで、
つらい思い出が多いですが、3年間必死に頑張ってきて、皆と野球して
きてよかったなぁ と思います」
◆辻 尭人一塁手 「広陵はレベルが高いチーム。強い私学を倒して優勝できてうれしいです」
◆田中亮二塁手 「この優勝の責任は重大です。来年は全員で優勝旗を返しに来たい」
◆副島浩史三塁手 「(満塁ホームランは)どんな球かは憶えていません。無心で打ちました」
◆井手和馬遊撃手 「八回の押し出しはストライクと思いました。東京六大学で野球を続けたい」
◆大串亮平左翼手 「こういう舞台に出られたばかりか、優勝までついてきてホントに幸せです」
◆馬場崎俊也中堅手 「佐賀県大会優勝の時とは比べものにならないくらいうれしいです」
◆江頭英治右翼手 「“応援はウチが勝っている”と監督が言っていた。ものすごい応援でした」
◆馬場将史投手 「甲子園という夢の舞台で何試合も先発できたことがうれしかった」
◆喜多勇平選手 「優勝もうれしいが、甲子園でやってきたことすべてに価値があります」
◆前田直人選手 「頭が混乱しています。ナインには感謝の気持ちでいっぱいです」
◆野中将司選手 「生まれ変わっても、こんな奇跡は絶対に起こらないと思います」
◆内川聖弥選手 「自分たちが全国一なんて信じられない。大会はあっという間でした」
◆小宮和幸選手 「将来、子供に、“パパは甲子園で優勝したんだぞ” と自慢できます」
◆新川勝政選手 「本塁打の瞬間は鳥肌が立った。甲子園は毎日が本当に楽しかった」
◆重松翔選手 「副島さんが打ってくれると信じていた。甲子園で大きく成長できたと思う」
◆松尾孝嘉選手 「(八回の代走では) もちろんホームを踏むつもりでした。最高です!」
・
・
■凱旋! (佐賀北高における優勝報告会)
佐賀北は、県立高には珍しく 役者が揃っていた。
中でも久保投手の “野武士然とした面構え”にはしびれた。
18歳にして既に男の顔をしている。
ものに動じない男の顔だ。
日本にも、まだこんな漢(おのこ)がいたかと思うと、
内心密かにうれしく、思わずニヤリとした。
・
・
ところで役者といえば、先発の馬場は役者顔負けの端正な二枚目。
甲子園では、その馬場が先発し、途中からエース久保にリレーする
パターンで勝ち進んできた。
この 二枚目→ 野武士 の黄金リレーには感心した。
馬場の端正な顔に十分慣れたところで、満を持して“野武士”久保が
登場するのだが、その強烈な対照は、相手から見れば尋常ではない。
ギョギョッ! さっきの投手と違い過ぎる。。。こ、怖いかも! と
久保を初めて間近に見た相手打者は、その面構えに飛び上がるほど
の威圧感を覚えただろう。
彼の面魂(つらだましい)に圧倒され、剛速球が来ると身を固くして
待っていると、その“読み”をあざ笑うように、精密器械よろしく正確に
制御された変化球が外角いっぱいに決まるのだ。
まるで 牛若丸が華麗に舞った後、弁慶が大見得切って登場しバッタ
バッタと敵をなぎ倒していく芝居を観ているような痛快感と醍醐味とを
味わった15日間。 それは、実に贅沢な時間だった!
いずれにせよ 今年の佐賀北が、
メリハリの利いたあざやか継投、俊足の左打者によるコンパクト
で鋭い打撃、数少ないチャンスに一気呵成に攻めつける集中力、
豪快なホームラン、美技を織り交ぜた鉄壁の守備、相手の意表
をつく思い切った走塁 と、あらゆる意味で 野球の持つ楽しさ・面白
さを再認識させてくれるチームであったことだけは間違いない。
真に “魅せる野球”を心得ているという意味において、百崎監督という
人は 「類い稀な作戦家」であるだけでなく、優れた演出家でもあった。
・
・
◆ ◆ ◆
・・
・
・
甲子園の全試合に先発しゲームを作った馬場投手
馬場の後を受けマウンドを死守した佐賀の大魔神 久保投手
再三の美技でチームの危機を救った馬場崎中堅手
土壇場で優勝を決めた必殺仕事人 副島三塁手
。。
佐賀北ナインに、畏敬と驚きと感謝の気持ちを込めて こう言いたい。
「君たちに会えてよかった。我々はこの夏のことを一生忘れないだろう」 と。
◆佐賀北・野球部に掲示されている「勝負の心得」
「ピンチの裏側」
神様は決してピンチだけをお与えにならない
ピンチの裏側に 必ずピンチと同じ大きさのチャンス
を用意して下さっている
愚痴をこぼしたり ヤケを起こすと
チャンスを見つける目が曇り
ピンチを切り抜けるエネルギーさえ失せてしまう
ピンチはチャンス どっしりかまえて
ピンチの裏側に用意されてるチャンスを見つけよう
。
.
自分も佐賀北を応援していましたが確かにあの判定はちょっと気になりました。でもギリギリだったかもしれません。
実際それ以前にボールだと思った球がストライクだった時もあったので主審の判定がおそらく正しいのだと思います。
by (2007-08-23 01:23)
◆三天寺さん ご訪問ありがとう。
この記事は、「科学的判定の導入」について書いたものです。
あの一球はストライクだった、ボールだった、という居酒屋的議論
をするつもりで書いたわけではありません。
そこのところ、ぜひ ご理解下さい。
野球界にも、いつか必ず「科学的判定」が導入されます。
それがいつか、それだけの問題です。
導入には、きっかけが必要であり、大きな事件が必要なのです。
守旧派の壁はそれほど厚く、高い。
しかし、あのガチガチの保守の牙城であるウィンブルドンでさえ、
10年前から「科学の目」を導入しています。
その理由はただひとつ。
「必死で頑張ってきた若者を理不尽に泣かせてはならない」という、
オトナとしての “ノーブレス・オブリッジ” でした。
そういう事実に鑑みて、「もはや原始的判定には限界があるから、
野球も時代にマッチした道を探るべきだ」という提案なのです。
「ローテクよりハイテクが絶対いい」 などという小児の主張をする
つもりは毛頭ありません。
原始的な因習を打破する時機は、すでに来ています。
「必死で頑張ってきた若者を理不尽に泣かせてはならない」という
趣旨のもと、“微妙な判定” が為されるたびに、敵味方を超えて、
皆で力を合わせ、抗議の声を上げる必要に迫られているのです。
「確かに どのスポーツにも誤審はある。
だからこそ、陸上にしても、水泳にしても、テニスにしても、
相撲にしても、“科学の目”を導入して 誤審が起こらないよう
ベストの体制を作る努力をしているのだ。
ところが、野球は旧態依然である。100年前から進歩がない。
高野連よ。
全国高校球児の2年半の涙と汗をどう考えているのだ。
もうこんな試合、こんな決着は二度とゴメンだ!
参考判定資料程度にとらえてもらって結構だから、だまされたと
思って “コンピューター画像解析” を導入してみてほしい。
そうなれば、審判の判定技術は格段に向上する。
それだけは保証する。」 (本文より)
by Hiji-kata (2007-08-23 12:55)
こんにちは
この記事 ずいぶん参考になりました。
問題のジャッジのことで、ほかのブログでもいろんな意見が出て
いましたが、今後の高校野球ためにも良かったと思います。
私も、広陵の野村君を見ていて同情しました。
最後のほうでは、疲れきって気力だけで投げている状態だった。
考えてみると、ピッチャーが複数いるチームと一人しかいない
チームで競うのはフェアではないですよね。
1人しかピッチャーがいないチームのことを考えて、試合間隔を
空けて大会を組んで欲しいと、改めてそう思ったのです。
片や二人ピッチャーがいて、しかもエースは休養十分。
片や、野村君はずっと連投。
これでは到底フェアな戦いとは言えません。
野村君は疲れがひどく、握力だってかなり落ちていたはず。
4対0で八回までヒット一本に抑えて勝っていて、あんな満塁弾を
打たれるなんて、球威が落ちていたからに決まっています。
根性論だけでは何ともなりません。ハングリー精神も同様です。
良い試合、フェアな戦いのために、もっと余裕のある日程にしてほしい。
野村君を見ていて、これからはこのような試合をさせてはならないと
強く思いました。
あんなに必死に一人で投げたのに、最後のバッターになってしまって・・・
・・・・残酷過ぎます! 野村君が可哀想で切なくてたまらない。
高野連は体質が古すぎませんか。
問題点や見直すべきことが多いと思います。
by sakura (2007-08-26 12:32)
◆sakura さん ご訪問ありがとう。
読み応えのある長文にも感動しました。
野村君がこれを読んだとしたら、あなたに感謝すると思い
ますよ。 これ以上のファンレターはありませんから(^^)
甲子園、特に夏は、2人の投手をうまく使い分けたチーム
のほうが勝率が高いようですね。
それほど夏の甲子園は過酷な戦いを強いられる。
だからこそ、駒大苫小牧の2人の投手に ひとりで立ち向か
って投げ勝った「ハンカチ王子」は凄いと言われるんですね。
今年もその再現かと見ていましたが、やはりひとりで連日
の接戦、激戦を乗り切るのは大変なことだったようです。
でも、広く豊富な人材を集めているはずの伝統校・広陵が
たったひとりの投手、片や無名の公立高校が2人の投手
というのも、何だか逆のようで不思議な気がしませんか。
思うに、今回の佐賀北の優勝は 「投手なんて 素質抜群の
人材が現れるのを待っていても100年待っても現れはしない、
だから 現有戦力の中から鍛えて作り出すのだ」という、百崎
監督一流の理論と実践の勝利ではないでしょうか。
馬場投手は、165cmにも満たない小柄なサウスポーですが、
広陵や駒大苫小牧や帝京で、果たして先発投手になれたで
しょうか。内野の井手君がレギュラーになれたでしょうか。
ここで百崎監督が教えてくれたことは、「必要は発明の母」だ
ということです。
つまり、工夫をすることがいかに大切かということを、身をもって
教えてくれているんですね。
これこそが「真の教育」ではないか・・・・・・そう思いました。
甲子園の戦いでも、智将・百崎の面目躍如たる場面が随所に
見られましたね。
投手の交代時機の見極めも相手校の上をいっていたし、代打・
代走の起用も、その的中率に素晴らしいものがありました。
8回の押し出しの直後、広陵側が ワンポイントでも投手を交代
させておけば、野村君も落ち着きを取り戻していたはずです。
百崎監督なら、迷わずそうしていたでしょう。
実は広陵にも、鋭く落ちる球が持ち味の、素晴らしい2年生投手
がいたのです。
ただ、それを決断するには、広陵の監督さんに動揺があり、冷静
な観察力・判断力が曇ってしまっていた。
急所となるあの場面で、野村投手の心理状態を読み取ってほしか
ったなァ と思うと、それだけが少々残念です。
by Hiji-kata (2007-08-28 11:04)