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蜘蛛巣城 ・ どん底 [映画]

 

黒澤明監督作品  蜘蛛巣城(1957)
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シェイクスピアの「マクベス」を 戦国時代に翻案した歴史劇。 自己の欲望のまま 主君、友人を相ついで殺害した武将が、罪の重さに堪えきれず、ついには自滅していく・・・そんな人間の罪深さ、業(ごう)の悲しさを、鮮烈な映像美の中に追求した黒澤明 47歳の傑作は 「スローン・オブ・ブラッド(血の玉座)」というタイトルで 広く世界に知られている

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戦国武将・鷲津武時(三船敏郎)は、妻・浅茅(山田五十鈴)に
そそのかされて主君を殺害し城主となる。
さらに妻は
親友・三木義明(千秋実)を殺害するよう 夫に強要する。
君主と親友を立て続けに謀殺した武時は良心の呵責にさいなまれ、
精神的に追い詰められていく。
ラスト、死者の幻影に怯える武時に悲劇のクライマックスが訪れる。

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「蜘蛛巣城」は、そのモチーフに 能の様式を採用している所から、
“古めかしく冗長な演劇的映画” と思われがちだが、その実体は
超望遠を駆使したダイナミックな映像美で魅せる “モダンで
スタイリッシュな映画的映画”
である。




霧に見え隠れする山城の不気味な存在感。鬱蒼とした森を疾駆
する騎馬武者のフォトジェニックな美しさ。 森の奥深く忽然と現れ
謎の予言を残して消える物の怪の幽玄な妖気。 主君の死を奉じ
て進む騎馬の隊列を 超望遠で捉え続ける長回しショットなどなど、
斬新な映像の数々が 観る者を圧倒し魅了する。




そして…伝説のラストシーンでは、三船におびただしい数の矢を
射かけるという 驚愕のクライマックスが用意されている。 
ここでは、あの図太いミフネが不眠症に陥ったほどの迫真の撮影
が決行された。


 

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ただ、全体から受ける印象は、その上品華麗な映画言語によって、
陰惨・残酷なイメージから際どく免れている。
また、能を連想させる佐藤勝の音楽設計も秀逸で、冒頭に流れる
謡曲、笛の音
など 印象深く忘れがたい。   



 

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三船敏郎は いつもながら素晴らしい。
が、それに負けないほどの名演技を 山田五十鈴が見せている。
能面を思わせるメイキャップや、能を擬した所作で浅茅の内面を
表現しつつ、映画を支配する異様な雰囲気を高めていくのだ。


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悪謀にたけた浅茅(山田五十鈴)は、見かけは豪胆だが 実は気の
小さい夫を叱咤激励し、主君と親友(ライバル)の殺害を決行させる。
五十鈴は、秘めた野心と女の残虐さを、何かに取り憑かれたように
全身で表現してみせた。
4年後の「用心棒」でヤクザの女房に扮し破格の演技を見せることに
なる彼女だが、ここでは それをしのぐ
神懸りの演技を披露している。

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妖しい老婆(浪花千栄子)の登場場面では、浅茅の所作と
同様、能をモチーフに、“物の怪 (もののけ)” の不気味さ、
妖しさを 見事に表現している。

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鷲津が、その首を矢で射抜かれ絶命するという凄絶なラスト
シーンは、弓の名手を集めて来て 実際に矢を放った。
叫びながら逃げ惑う鷲津に無数の矢が放たれ、音をたてて
突き刺さるその迫力は 観た者にしか分からない。
三船は後年「こんな恐ろしい撮影はなかった」と語っている。


 

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「蜘蛛巣城」と能の関係 について(代表的な)能楽評論家は こう述べた。

■全編にわたって能の様式美を生かす、という演出意図に沿って製作された 「蜘蛛巣城」 は、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換えた物語だが、能のイメージが映画全体を支配しているような作品に仕上がっていることに驚いた。しかし、この映画が能を取り入れていることは、我々にとっては大変見やすいことでもある。マクベス夫人にあたる山田五十鈴が、すり足で歩いたり片膝を立てて座ったりするところがそうだし、マクベス役の三船敏郎が主君殺しを決行するため別室に去り、残った山田五十鈴が ひとり不安と期待とに部屋を行ったり来たりするときの伴奏は能の囃子だ。予言をする魔女のいるのが「黒塚」の作りものの中だし、回している糸車もそうである。殺された武将達の扮装は皆、二番目物・修羅能の後シテと同様に、法被 ・半切をつけている。  
戸井田道三 「能 神と乞食の芸術」より

 

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■海外の批評家は こう紹介している。
とにかく こわい映画だ。クロサワは人間の愚かさを徹底的に追求しているのだが、様式的に高められたその美には驚嘆するほかない。ワンカット ワンカットの “絵の美しさ” は特筆ものだ。「映像美が極限まで高められた傑作」 と言っていいだろう。 いずれにしても、世界的に有名な「マクベス」を、能の様式美と緩急のリズム、飛来する矢のスペクタクルなど 一連の因果応報の絵巻に仕立て上げた黒澤の才気溢れる演出が、世界の映画作家に多大の影響を与えたことだけは確かだ。「マクべス」は、オーソン・ウェルズやロマン・ポランスキーも映画化しているが、黒澤作品はそれをはるかに凌駕している。ピーター・ブルックは、この映画を、「世界で作られたシェイクスピア映画の最高峰だ」 と言い切っている。 “シェイクスピアの国” の代表的演出家が、この映画を絶賛したことは注目に値する。

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■レビュー紹介

◆ Aさんのレビュー 
これほど壮絶という形容がふさわしい作品はない。運命に絡めとられるように破滅へと突き進む武時の姿から、一時も目を離すことができなかった。 『七人の侍』 などに比べるといささか 「芸術作品」 してはいるが、もっと知名度が高くてもいいはず。  
あと、皆さんも言及しておられますが、なんだかんだ言って山田五十鈴さん、あんた怖すぎるよ! 夢に出てきちゃうから! あんまり怖いので、森の化生が憑いているのかと疑ったくらいです。  


◆Bさんのレビュー 
予備知識なしで観たために、三船が矢の雨のなかでの絶命する場面には口があんぐり。かっこいい決め台詞を言わせたり、堂々とした態度をとらせたりせずに、みじめに悲鳴をあげて這いずり回るのが非常にリアルで、すさまじい迫力に圧倒された。
『俺たちに明日はない』 でボニーとクライド が銃弾の嵐を浴びるラストがあるが、それに勝るとも劣らない衝撃的なクライマックスだった。
個人的には『七人の侍』よりも好きかも。登場人物に温かみがない分、白と黒だけで表現される荒涼とした風景が胸にしみたし、なんともいえない虚無感が閉幕後もしばらく後を引いて仕方なかった。


◆Cさんのレビュー
序盤の森のシーン。物の怪の笑い声がこだまする場面から映画に引き込まれ・・・・山田五十鈴演じる正室・浅茅も不気味な空気を醸し出してまさに圧巻 !! どうして表情も変えずに あれだけの表現ができるのか、浅茅こそ物の怪(もののけ)なんじゃないかと思うほど。終盤の手を洗うシーンも本当に恐ろしくて、完全に作品世界につれていかれた。
蜘蛛手の森が動くシーンでは、実際森が動いているのを見て怖くなったりしたが、やはり一番こわいのは、クライマックスで嵐のように矢を浴びせられるシーン。その迫力は尋常ではない。首に矢の刺さる瞬間、思わず声をあげそうになったが、実はあのシーン、弓道の有段者数人に至近距離から射させたそうだ。それにしても、物の怪の予言を発端として権力欲をあからさまにしていく人間の描き方は見事だった。     

 

 

◆      

 


黒澤明監督作品   どん底 (1957)

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この秋、三鷹芸術文化センターで 『羅生門』とともに観た
「どん底」 についても 書いておきたい。
2本とも、もう何度観たか分からないほど、知り尽くしている
はずの映画だが、それでも十分楽しむことができた。
正直言って、観るたびに新たな発見がある映画だと思う。


 

ところで この2本、製作年に7年の隔たりがあり、
どういう取り合わせなのか 私にはよく分からない。
ただ “共通項” がないわけでもない。
それは・・・・時代劇セット一杯 だ。

 

映画のセットは 一杯、二杯 と数える。
ふつう、セット一杯 しかない映画は “小品” といわれる。
しかし 黒澤の “セット一杯” は 泣く子も黙る… いや、重役たち
も青ざめる “セット一杯” だった。

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他の監督なら、一杯のセットに、たとえそれが “会社持ち”とは言え
(今のレートで)1億円を超える製作費を掛けようとは思わない。
そんなことは怖くてできない。
客が入らず赤字が出たらどう責任をとるのか、それは考えるだに恐ろしく
ノイローゼになるのがオチだ。

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「羅生門」にしても 「どん底」にしても、完成したセットを見た重役たちは
本当に青ざめた(前者は大映の、後者は東宝の重役たちだった)
ところが 両者とも、その “ど迫力” のスケールに圧倒されて 何も言えず
そのまま退きあげた。
彼らは、内心煮えくりかえるような怒りを覚えたが、それをぶつける所は
なかった。
なぜなら、ゴーサインを出したのは 他ならぬ自分たちだったからだ。


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彼らの中で何かが鬱積し、そのストレスが “のちのあつれきの種”に
育っていくことにもなるのだが・・・・。
そんな重役たちの不安をよそに、黒澤には確かな勝算があった。
(傑作をモノにし、興行的にも 十分成功させるだけの自信があった)。
「羅生門」以降 「クロサワ」の名は 内外に鳴り響いていて、
世界中に市場を求めることが出来たからだ。
かくして 「どん底」 は完成し、黒澤のフィルモグラフィーに
またひとつ 傑作が追加された。

 

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フランス映画史上最高の映画作家と言えば、 衆目の一致するところ ジャン・ルノワールだろう。 (父は フランスを代表する画家、オーギュスト・ルノワール)。
そのルノワールも 1936年に ジャン・ギャバン主演で 『どん底』 を撮っていた。黒澤はルノワールに会った時に、敬意を込めてそれに触れた。黒澤は 熱烈なルノワールファンだったのだ。

ところが、ルノワールの口から意外な言葉が出た。消え入るような声だった。
「ムッシュ・クロサワ、どうか それには触れないでくれ。私は恥ずかしい。私のは本物とは言えない。キミの映画こそ正真正銘の『どん底』 だよ。」    

 

      


私はいわゆる “古典映画マニア” ではない。
モノクロ映画が あまり好きではないのだ。
カラーの持つあの“明るさ”や“温もり” のほうが
はるかに好ましいと思っている。
だから、たとえば小津映画などでも 、訊かれると即座に
「秋日和」が一番好きだ、などと言ってしまう。
そんな私だが、本当に良いものは やはり素直に認めざるを得ない。
では、「どん底」 の凄さ・素晴らしさとは何だろう?
検証してみたい。

 

    
    ◆   ◆   ◆


原作はロシアの作家 マキシム ・ ゴーリキーの同名戯曲。
映画の公開から50年になるが、これまで世界の演出家たちが
一番に指摘してきたのが、黒澤の並外れた読解力だ。
この映画に 『どん底』 の正しい解釈が示されているというのだ。
舞台の専門家が口を揃えてそう言うのだから間違いないだろう。

しかし、学生時代に原作を読んだ私には、その面白さは
ついに分からずじまいだった。
その後、有名劇団の舞台なども 何度か観たが同じだった。
そんな時に黒澤の「どん底」を見て、目からうろこが落ちた。
こんなに面白い芝居だったのか、という衝撃をおぼえたのだ。

 

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黒澤は欧米の古典文学を数本、翻案 ・映画化している。
露文学では、ドストエフスキー「白痴」 と ゴーリキー「どん底」
そして、シェークスピア物としては 「マクベス」が「蜘蛛巣城」に、
「リア王」が「乱」に翻案された。

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また、ロシアの記録文学 「ウスリー探検記」を基に作られた「デルス
・ウザーラ」
も、企画段階(1950年前後)では、 北海道を舞台にした
翻案ものであった。
これら海外の文学作品が “とても自然に日本映画に変換されている”
ことに 私はうなった。
欧米作品の「日本化」、最高文学作品の「映画化」、その両方を同時に
成し遂げていることに驚いたのだ。

 


 

そんな中、「どん底」も、ゴーリキーの文学世界を 破綻なく“日本化”
することに成功している。
登場人物は、お遍路、元御家人、鋳掛け屋、役者くずれ、飴売り女、
夜鷹、桶屋、駕籠かき、下駄職人、博打打ち、泥棒・・・というふうに
各々 江戸の下層階級の職業に巧みに翻案され、場所も “おんぼろ
棟割り長屋”
に変えられていて 違和感がない。

 

 

黒澤は、翻案ものにありがちな “どこの国のいつの話なのか判然
としない中途半端な時代設定や人物造形” などという愚は決して
犯さないのだ。
「わざわざ日本に移してやるんだから、そうでなければ意味がない
し、見てるほうだって白けてしまうよ」 などと 傍(はた)で言うのは
たやすいが、いざやってみると 言うほど簡単ではない。




これら 時代把握や人物造形の手堅さ が、黒澤版 「どん底」の
大きな魅力となっていることは間違いない。
我々は この映画で、最高文学作品の香気をまったく損なうことなく、
その真髄を堪能することができるのである。
そして さらに、日本人には 超お得な特別ボーナス!・・・・映画を
“吹
替なし”で堪能できるという特典が もれなく付いてくる。
なんと幸せなことだろう。



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観客はまず、今にも崩れ落ちそうな長屋の“完成度”に驚く。
そのセットは これ以上ないほどに汚されていて、見るからに “きたない”
はずなのに、そうは感じないから不思議だ。
そんな美術に酔っている間に、観客は抵抗なく物語に引き込まれていく。

 

 

ここに、「どん底」について 淀川長治の述懐がある。

ボクはね、この写真(映画)が“美術画”であることに圧倒され
ちゃったのね。
とにかくセットが綺麗で・・・そう、あの石垣の下の長屋のセット。
今までに これほどのセットはないんだね。
そして登場人物が皆いいのね。 衣装も メイキャップも カットも。
ワンカット、ワンカットが美術画なんだね。
長屋の住人が皆でお酒を飲んで踊るシーン、馬鹿囃子の素敵
なリズム・・・・あのシーン、あんまりいいんで びっくり仰天した。
「どん底」は ぼくの好きな写真のひとつだね。

 

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また、この映画には黒澤特有のセンスに裏打ちされた見事な音楽設計が見られる。
それが最もよく表れているのが 「こーん、こーん、こんちくしょう」で始まる馬鹿囃子(ばかばやし)
のシーン。 “和製パーカッション”の躍動感が圧巻で、他の追随を許さない完成度である。




編集で (お囃子のリズムに合わせて)カットを細かく割り、人物のクローズアップでつなぐことで、
映像の流れにリズムを与えている。

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ご覧の通り 登場人物の一人ひとりが、全身から強烈な個性を放ち、
初見の人にも ひと目で憶えられるように計算されている。
とても “脇役俳優”とは思えないその輝き。
 



彼らは、出身が軽演劇のコメディアン(右端の藤木悠を除く)

・・・・今でいう “お笑い系の芸人さん” たちだ。 

当時の映画関係者は、彼らのことを 一段格下に見ていた。

ところが黒澤は、こういう下積みの長いコメディアンを とても大切にしたし、

役者たちも、自分を信頼してくれる黒澤のために命懸けの演技をした。

「どん底」でも、歯を抜いて撮影に臨んだ俳優が何人も出たというから驚く。

中でも、中村鴈治郎は全ての歯を抜いたそうだ。

何ともすさまじい役者魂である。

そんな関係を十年がかりで築いてきた黒澤のひとつの到達点が

「どん底」 なのだ。

今思い出しても 左ト全(ひだりぼくぜん)の巡礼など出色だった。

が、これらの顔は 決して思いつきで集められたわけではない。

黒澤の中にある明確なイメージが、これらの役者を要求したのだ。

特徴的な顔ばかりだからこそ、ちょっと見ただけでも憶えてしまえるし、

そうなれば感情移入が容易になって自然に映画の中に入ってもいける。

これは、より深く物語を味わうために不可欠の要素だろう。

         

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悲惨な境遇に生きる惨めな人々の姿を、こんなにも生き生きと
人間的に描き出すクロサワの深い洞察と まなざしの温かさは
キリストのそれに近い。

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とは言うものの、この映画、甘いところは一切なし。
お涙頂戴もないし、弱者救済のスローガンなども もちろんない。
その意味では、あくまでも原作に忠実である。
でありながら、黒澤の視線はあくまでも温かく公平である。
毎度存在感で他を圧倒する三船敏郎も、この映画では 大勢の
中に自然に溶け込んでいるし、カメラは徹頭徹尾、貧困にあえぐ
社会的弱者を差別することなく 正面から見つめ続ける。

 

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「どん底」が 黒澤作品であることの何よりの証しは、
監督の 決して目をそらさない眼差しの優しさ にこそ
あるのかも知れない。
この「庶民への眼差しの優しさ」 は、 8年後に発表される
「赤ひげ」 において発展的に完成されることになる。

 

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また、「どん底」で 狭い空間での人物の動かし方の極意を体得した
黒澤は、その5年後、「椿三十郎」 の屋内撮影において、若侍たちの
顔の重なりを徹底的に排除した、極めてテクニカルな撮影に成功する。

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その成果を得て、翌年の「天国と地獄」前半部、“権藤邸・室内劇”
において、今では伝説となった 複数カメラによる長時間連続不重
撮影
(3台以上のカメラを使い、限られた空間で多くの人物が交錯し
ながら演技しても 重なりが生じ
ないように撮影) に初めて成功する。

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◆「天国と地獄」(1963)
知能抜群の誘拐犯と捜査陣の対決を描いたサスペンス映画の決定版。
全編に圧倒的な緊張感が溢れているが、特に、映画史上に残る 鉄道を
使った空前絶後の身代金奪取シーンは圧巻。
黒澤らは、脚本段階で 「特急こだま」 の構造を隅々まで研究・分析して、
思いもよらない強奪法を考案し、その撮影には「特急こだま」を貸切って
実際に走らせ、8台のカメラで一気に撮り上げた。そのリアルでダイナミ
ックな映像は、この映画を、他のお手軽でチープな犯罪映画とは厳しく
一線を画す偉大な作品にしている。
http://www.hf.rim.or.jp/~noble/tansaku/kemuri.html 
http://www.cafeblo.com/nonkinaahiru/daily/200701/07
http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?mid=1706&by=vote
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30980561


傑作の誉れ高い「赤ひげ」「天国と地獄」。

しかし、もし黒澤が 「どん底」を撮っていなかったとしたら、

この2作品の細部にわたる完成度が、これほど高いものに

なっていなかった可能性は十分にある。

 

■黒澤明・作品一覧
http://www.moon-light.ne.jp/profile/kurosawa2.htm  

 


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Hiji-kata

テアトル新宿・上映イベント
■黒澤明の軌跡■
2007年6月2日(土)~6月22日(金)

初日・・・・・用心棒/椿三十郎/七人の侍

【見どころ】
「七人の侍」で菊千代を死なせてしまったことを誰よりも寂しく
思っていた黒澤は、「用心棒」を製作するにあたり、“菊千代”
を原型に “三十郎”を造形することを思いついた。
その同一性が 音楽からも分かる。
「菊千代のテーマ」をスロー再生すると「三十郎のテーマ」 に
酷似する。もちろん音楽だけではない。
ふたつを比べてみると、両者の共通項が見えてくる。
●本名を明らかにしないところ
●侍ではないが侍以上に勇気があるところ
●人並み外れた正義感と突出した行動力を持っているところ
●言動が常にユーモアを醸し出しているところ
●外見はぶっきらぼうでも、実は大変な人情家で、思いやりと
ヒューマニズムが着物を着て歩いているようなところ、などなど。

それにしても、7年間姿を見ない間にずいぶん強くなったものです(笑)


6/3(日)七人の侍/天国と地獄/生きる
6/4(月)生きる/一番美しく/生きものの記録
6/5(火)生きものの記録/虎の尾を踏む男達/羅生門
6/6(水)羅生門/わが青春に悔なし/姿三四郎
6/7(木)姿三四郎/白痴/蜘蛛巣城
6/8(金)蜘蛛巣城/天国と地獄/用心棒
6/9(土)隠し砦の三悪人/用心棒/椿三十郎
6/10(日)椿三十郎/續姿三四郎/酔いどれ天使
6/11(月)酔いどれ天使/天国と地獄/野良犬
6/12(火)野良犬/醜聞/隠し砦の三悪人
6/13(水)隠し砦の三悪人/八月の狂詩曲/どん底
6/14(木)どん底/羅生門/どですかでん
6/15(金)どですかでん/まあだだよ/赤ひげ
6/16(土)赤ひげ/生きる/椿三十郎
6/17(日)生きる/蜘蛛巣城/七人の侍
6/18(月)七人の侍/用心棒/野良犬
6/19(火)野良犬/素晴らしき日曜日/悪い奴ほどよく眠る
6/20(水)悪い奴ほどよく眠る/天国と地獄/影武者
6/21(木)影武者/隠し砦の三悪人/乱
6/22(金)乱/静かなる決闘/赤ひげ

by Hiji-kata (2008-10-16 17:50) 

Hiji-kata

◆2000年7月26日朝刊より
3月に3万9800円という価格でありながら、DVDソフトの再生機能もついたソニー・コンピュータエンタテインメントのゲーム機「プレステ2」が発売された影響で“総負け組”になることも予想されたDVDプレーヤー(再生機)。
ところが蓋を開けてみると「PS2でDVDの魅力を知った人がDVD専用機を買いに来るようになった」(松下電器産業AVC社デジタルAVネットワーク事業部K課長)ため、上半期の市場は昨年に増して活況を呈した。
牽引役となっているのが、各社がPS2に刺激されて新たに投入した実勢価格4万円を切る商品群。
とりわけ強烈に割安感を出したり、デザインにこだわるなどDVD特有の高画質にプラスアルファの魅力を打ち出した商品に人気が集まっている。
上半期に発売された低価格帯の新商品の中で、勝ち組の代表格は東芝の「SD-1200」。同社は昨年、いち早く店頭価格3万9800円の機種を発売するなど低価格競争をリードしてきたが、「SD-1200」は「PS2がDVDプレーヤーの価格の目安になってしまった」(映像ネットワーク事業部M部長代理)ことを意識して、店頭価格を2万9800円にまで引き下げた。これがPS2などに刺激されて「性能など細かいことは気にせず、とにかくDVD専用機を1台買いたい」と来店した顧客層の心を捉えたようだ。
実際は価格を抑えつつも、DVDプレーヤーとして初めて「D端子(D1映像出力端子)」を搭載。D端子搭載テレビと簡単に接続して、デジタル放送などの高画質を劣化なく再現できる機能をつけたり、同社の高価格機種と同等の水平解像度540本という精細な画像を実現するなど、画質の美しさへのこだわりも見せている。
ソニーが5月20日に発売した「DVP-S313」も極めて人気が高い。大きな特徴が69mmという薄さ。「テレビの下はビデオデッキやチューナーで埋まっているため、隙間に収まる大きさを意識した」(ホームAV&コミュニケーションマーケティング本部Tマネージャー)といい、前シリーズより約3割薄い。家電店店員も「実売価格が競合商品より5000〜6000円高いのに、若者を中心に 『格好いいから』 と売れていく」 と話す。
また、「DVDで画質が良いのは当たり前。他社との差異化を図るポイントは音」(同)と判断。一般家庭のテレビに接続するだけで、背後にスピーカーがあるような音響効果が得られる「バーチャル・エンハンスド・サラウンドTVモード」を初めて搭載。別にスピーカーやアンプを買わなくても、映画館のような重低音が楽しめるという魅力をアピールしている。
ただ、同製品に対しては家電量販店から「本来ならば売れ筋ナンバーワンになる実力があったのに」と惜しむ声が多い。“本来ならば”というのは予想を上回る売れ行きで品不足を起こし、供給が追いつかなかったためだ。ある家電店バイヤーは「大手量販店ですら7月上旬に『DVP-S313の入荷は7月下旬』という張り紙があった」と品不足の深刻さを証言する。
東芝のM部長代理は「需要が急拡大しているDVDプレーヤーの場合、店頭に在庫があるかどうかは勝敗の重要なポイント」と指摘。同社では主力機種を二つに絞り、あらかじめ増産に対応できる体制を整備。これが奏功して「SD-1200」は目立った品不足を起こさず順調に売れ行きを伸ばしている。
松下電器もソニーとほぼ同時期に「DVD-RV20」を発売した。「DVDの購入客にはホームシアターを楽しみたいという動機が圧倒的に多い」(K課長)ため、スピーカーが存在しない横方向から音が聞こえてくるような「バーチャル・サラウンド・サウンド機能」をつけたり、映画のセリフのみを聞き取りやすくする「シネマボイスモード」などを搭載した。ただ、ブランド力やデザイン性でソニーの「DVP-S313」の後塵を拝し、価格では東芝の「SD-1200」より2000円程度高いなど特徴が鮮明に打ち出せていないこともあってか、売れ行きに2製品ほどの勢いは見られない。
シャープが2月末に発売した「DV-SF10」も、値ごろ感はあるものの際立った特徴がなく、ブランドイメージも弱いため伸び悩んでいる。ある家電店バイヤーは、「1台目のDVDプレーヤーを買いに来た消費者は価格と同等に信頼性を求める。機能に大差がなく、価格差が2000円程度ならAV製品でブランド力の高いメーカー製品を選ぶようだ」 と指摘する。
一方、上半期商戦の勝敗を語るうえで、低価格商品と並んで外せないのが昨年末にパイオニアが業界の先陣を切って発売した、再生に加えて録画機能を持つDVDレコーダー「DVR-1000」の売れ行きだ。実勢価格が20万円近いこともあり、当初は映像マニアにしか売れないと見られていたが、4月末までの4カ月間で2万7000台を出荷。上半期の推計市場規模が20万〜30万台とされるなかで大健闘した。ホームエンタテインメントカンパニー事業企画部・DVD企画課長は、「販売金額ではプレーヤー市場で圧倒的に首位の機種」と胸を張る。昨年までパイオニアの売り上げを支えていたDVDとLD(レーザーディスク)の互換機タイプの需要が一気に縮小したにもかかわらず、同社が2番手以下に10ポイント近くの差をつけて約30%の市場シェアを維持できたのは、ひとえに「DVR-1000」のお陰だ。
同課長は、画質の良さに加え、前に録画した番組を誤って消去するリスクがない、番組の検索が簡単といったDVDならではの操作性の高さは一般消費者にも分かりやすく、「VHSビデオの代替としてDVDレコーダーを求める人は予想以上に多かった」と振り返る。この需要を無競争市場で享受できたメリットは極めて大きかったようだ。
低価格化が話題の中心となった上半期と比べ、下半期には各メーカーがDVDプレーヤーに対する自社の戦略を明確に反映した高価格帯の戦略機種を売り出すことから、改めて各社製品の機能に注目が集まりそうだ。
松下電器産業は既に6月末、DVD-RAMドライブ内蔵パソコンを使って録画した映像を編集するといった楽しみ方ができるDVDレコーダー「DMR-E10」を発売。
東芝は8月から画質と音質に徹底的にこだわり、DVDオーディオにも対応する「SD-9200」を売り出す。
市場で出遅れていた日立製作所は、DVDプレーヤーとCDレコーダーを一体化させたアイデア商品「DV-W1」を発売。映像ソフトを鑑賞できるだけでなく、音楽CDを自在に編集できる点をウリに シェア拡大を目指す。
ヒット映画も封切りから半年余りでDVD化されるようになり、DVDはますます身近な存在になってきた。消費者の商品知識が向上し、自らの使用目的に合った機種を選ぶ傾向が強まる中、いかに魅力的な提案ができるか、メーカー各社の手腕が試されることになる。
by Hiji-kata (2009-05-03 20:45) 

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