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父親たちの星条旗(1) [映画]


。 
第一章   救いのない映画

.

今年も、かなりの数の映画を見た。
そのレビューが1本もないのは 自分としても寂しい。
まずは数本書いてみたが、すべて 「下書き」 に冬眠中(笑) 
「1回観ただけでは正しい判断は出来ない」などという立派な考えなど
ないが、最近は 無条件にリピートしたくなる (感動がハンパじゃない)
映画が少なくなったような気がする。


文句なしに魅力的な映画なら 間をあけず 2回、3回と観るだろうし、その感動を伝えたくもなるだろう。レビューなど、その日のうちに “たちまち” 完成する。
ひと昔前は、「レオン」、「シザーハンズ」、「ダイハード」、「ショーシャンクの空に」・・・・・などなど、今考えると 偉大な映画がいくつも並んでいたなぁ。。。。(遠くを見る目になる)
いつ頃から、こんなふうになってしまったのだろう? 




それにしても・・・「ダヴィンチ ・コード」 は ひど過ぎた。もはや 許せないひどさだ。せめて 「ミュンヘン」程度のレベルはあるだろうと見込んでいたのだが…読みが甘かった。ベストセラー本に頼るのは結構だが、込み入ったストーリーをさばく腕が未熟すぎて、結局そのしわ寄せは観客に来る。(私を含め) 理解できない映画を理解しようと、ひた向きに字幕を追いかける人が大勢いた。(オレを含め) ホント みんな “かわいそう” だったよ。しかも、その責任は映画のほうにあり、こっちにはない。
なんで こっちから歩み寄らなきゃならんのだ。 それこそ本末転倒! 責任者を出せ! こちとら客だぜ! 
あんまり客に負担をかけるなよ! 貴重なお金と時間を使って見に来てんだぞ!  いくら商売とはいえ限度を超えとる。 許せん! 
火が通ってない料理を出されても困るんだ!

。。  
えっ?   煮ても焼いても食えない?   
・・・・ま、まあ、そうかも…ね。

 。

いずれにしても、私としては、“固いものは消化に時間がかかる”
という、たったそれだけの理由で二度見る羽目に、なんてことは
極力避けて通りたい。
だが、いつもそう簡単にいくとは限らない。
悪くはない。でも微妙なところもあるし・・・・と、そんな映画が たまに
出現し 私を悩ませることがあるのだ。
この手の映画が、じつは一番 “やっかい” だ。

 


実は 「父親たちの星条旗」も そんな映画の一本だった。
そんな中、今回 「父親たちの星条旗」 の再見を果たしたので、
感じたこと、考えたことを、思いつくまま書いていきたい。
ただし、これからDVDなどで見る人も多いと思うので、“ずばり
ストーリー” というより それ以外の話題を交えながら、映画の
周辺にスポットを当てて
いきたいと思う。




●製作  R・ロレンツ  S・スピルバーク  C・イーストウッド
●監督  C・イーストウッド
●脚本  ポール・ハギス  ウィリアム・ブロイルズJ r.
●撮影  トム・スターン   
●音楽  C・イーストウッド
●上映時間 132分     
●製作費 55億円




クリント・イーストウッド監督は、おんとし76歳。
76といえば男の平均寿命だ。
その歳でなお、精力的に話題作・問題作を発表し続けている。
一体どうなってるの? と言いたくなる。 
もちろん、80歳の映画監督は地球上に掃いて捨てるほどいる。
定年もないわけで・・・・・ただ、誰もその老監督に映画を撮って
くれと言わないだけだ。






イーストウッドは違う。
現在 全米ナンバーワンなんて言われている。
(・・・・・若手は何をしてるんだろう。)
100歳まで撮るぞ! なんて冗談半分で言っているらしい。
(ただ、引退の噂があることも事実だが・・・・)


よほど壮健な身体に恵まれているのだろう。
映画を撮るって大変な重労働だからね。
そんな元気な “クリントじいさん” は、決して気難しい芸術家じゃない。
勤勉実直な職人・・・・・・良い悪いはともかく、そういう呼び方のほうが
しっくりくる。
素顔は、かなり陽気でちょっとシャイ ・・・・そんなアメリカ人だ。
ネクラじゃ、こんなに多くの映画は撮れない。
スタッフが逃げちゃうからね。




ところが、彼の映画は “暗い” “救いがない” などとよく言われる。
まったく同感だ。
「ミリオンダラー ・ベイビー」 なんかも救いのない映画だったなァ。
今回も 戦争映画ということで、またまた “救いのない陰鬱な映画”
になる可能性が大きい。
まあ、それは覚悟して臨んだ。
“いい映画” なら我慢しようと腹をくくったのだ。




ある人がイーストウッドを評して こう言った。
「この人、もう少し上手に “ユーモア” が表現できれば、歴史に残る
大監督なんだけどね。それも “救いがない”という印象を持たれて
しまう一因なんだろうねェ」 と。


う~ん、それもまあ ないとは言わないが・・・・・・。
黒澤 明が75歳のとき発表した 「乱」 などを見ても、特にユーモア
らしきものはないからね。
それでも 「乱」 は決して “救いがない映画” ではない。
だから、 “ユーモアがない” ことが “救いがない” ことの理由には 
なりにくいと思うよ。
それに “ユーモア”って簡単に言うけど、それを映画に乗せるのは
至難のわざだ。
黒澤明だって ジョン・フォードだって ヒッチコックだって、60を過ぎた
頃から “切れのいいユーモア” は影をひそめていった。
今の “クリントじいさん” にそれを望むのは酷だろう。







第二章   山  頂



さて、そろそろ本題に入ろう。



「この映画、賛否両論 出るだろうな・・・・微妙な映画を作ったものだ」

これが、一回目に見た直後の私の感想だった。
確かに真面目に作られてはいる。
でもそれ以上のものを感じるには重要な何かが足りない。
直感でそう思ったのだが、それが何かとなると、即答出来ないでいた。



ご承知のとおり、この映画には原作がある。下がそれだ。
作者 J・ブラッドリーの父親は硫黄島で戦った兵士だった。

20世紀最後の年、息子は父親やその関係者から聞いた体験を
もとに この本を著し世に問うた。





この本の表紙にある写真をじっくりと見ていただきたい。
「父親たちの星条旗」 は、この写真がアメリカ人に何をもたらした
かを考える物語である。


硫黄島の星条旗

硫黄島の星条旗

  • ジェイムズ・ブラッドリー,  ロン・パワーズ
  • 文藝春秋




この写真、世界で最も有名な戦争報道写真のひとつらしい。

撮影者はAP通信の従軍記者 ジョー・ローゼンソール(Joe Rosenthal)
(ローゼンスォルとも書く。 ウィキペディア の 「ローゼンタール」 は誤り)
この当時 33歳だった。

彼は、この写真によって1945年のピューリッツァー賞 (写真部門)を
ただ一人受賞している。

※この賞は世界的に非常な権威があり、ジャーナリスト志望の若者たち
  がその職に就く時に「いつかは自分も取るぞ!」 と心に固く誓うほどの
  ビッグな賞らしい。別名 「新聞報道のノーベル賞」とも呼ばれている。

 

えっ!  なに? 

写真が小さすぎて見えない?

わ、わかった・・・・・拡大するから、

ちょっと待ってくれ。

                                           


こう見ると やっぱり凄い!  力のある構図だ。
今見てもその迫力には圧倒されるし、ぞくぞくするような戦慄さえ覚える。
やはり当時の米国民の感動や 反響の凄まじさを容易に想像させるだけ
のものを持っている。

 

 

写真が撮られたのは1945年 2月23日。
19日の攻撃開始からわずか5日目。



場所は硫黄島 摺鉢山(すりばち山)の山頂。
標高167mの山頂からは、はるか水平線が見渡せた。
これは 五十数階建てのビルの高さに匹敵する。

 

 


硫黄島は “サンタクロースの帽子” の形をしている。
摺鉢山は三角帽子の先端、丸いボンボンの位置にあたる。


 

島の南端に位置する “ボンボン” の山頂からは、北に向かって
扇形に広がる島が一望できた。
米軍は要塞化されたこの山の戦略的価値に目をつけ、ここに
攻撃の主力を集中して猛烈に攻めたてた。

 

しかし払った犠牲は大きかった。
米軍の犠牲は、5日間だけで 戦死者 1800名、戦傷者 6000名。
合わせて8000名近い兵士が、山麓、山腹に倒れていった。


それでも ここまでは、戦局の推移、犠牲者数ともに、米軍の
“想定の範囲” と言えば言えた。
この山を取れば勝ったも同然、という 楽観気分が兵士たちを
支配していたと言っていい。
この段階で米側は、最終的に この4倍もの犠牲を強いられる
ことになろうとは予想だにしていなかった。


最終的な戦闘終結は 3月26日。死闘はこの日から1ヶ月以上
続いたことになる。
結果として、硫黄島は戦史に残る最激戦地となった。

 

アメリカに甚大な損害をもたらした硫黄島戦の最後の戦死者は
ルーズベルト大統領だった。
国民からの責任追及と財政難。
その心労から、戦闘終結の2週間後 彼は急死する。

話を 2月23日に戻そう。
硫黄島の最高峰であるこの山は、前日までの米軍の総攻撃で
ほぼ制圧されていた。
この日兵士たちに与えられた最大の任務は、山頂に星条旗を
掲揚することだった。

 

最初に掲げられたのは、写真の旗よりずっと小さな旗だったらしい。
それは海上の艦船から双眼鏡を使えば見えた。
見えたことは見えたけれども、その旗は余りに小さく、勇壮に翻る
イメージからはほど遠かったし、なにより上陸済みの兵隊たちから
も点のようにしか見えないことが報告された。

 

これでは旗を立てる意味がない。この島の要衝(ようしょう)を制圧
したことを全軍に告知できなければ、自軍の志気の鼓舞も叶わず、
敵の志気を くじくことにも貢献できないと思われたのだ。
そこで軍令により、急遽 「倍ほどの大きさの旗に変えポールもさらに
高くする」 ことになった。

 

 

ここまで、何ら不自然な所はない。(高官が記念に旗を欲しがったから
取り替えたというのは後から作られた話。ただ外された旗を持ち帰った
士官がいたのは事実。)

 

写真は、2回目の国旗掲揚を、たまたま居合わせたローゼンソール
が撮影したものだ。
ちなみに1回目の掲揚時には、ローゼンソールは山頂にはいなかった。

チャンスは偶然に訪れた。
しかし偶然にしては 見事に絵画的な構図。
彼は後世に語り継がれる偉大なシャッターチャンスをものにしたのだが、
この “素晴らし過ぎる構図” が、のちのち ひとつの疑惑を招くことになる。

 

写真は、当時としては異例の速度でアメリカ本国に送られる。
絶海の孤島からグァムに急送されたフィルムはそこで現像された。

写真を見たデスクは仰天した。
まだ乾き切っていない印画紙に浮かび上がった光景は、
泣きたいほどに勇壮で美しかった。
ひらめくものを感じた彼は、イスを蹴飛ばして電送器まで走った。

デスクの機転は功を奏する。
本国に急送された写真は翌日の朝刊に間一髪で間に合い、
全米中に大きな反響を呼ぶことになる。
1枚の写真がこれほどの力を持ったことは、かつてなかった
だろう。
写真が朝刊に掲載された瞬間、大きな見えない力が働きだ
したのである。

 

 

 

ご承知のとおり合衆国は、当時から民主主義国家だった。
これは国民にとって悪いことではない。
しかし時の政府は大変だった。国内に戦争反対の人が3割以上も
いると、国論をひとつにまとめるのに膨大な労力が要求されたのだ。

 

 

 

民主主義国家には、“キャンペーン国家” の側面がある。
それは大切な政治戦略だ。
ルーズベルト大統領も有能な指導者だった。戦争に勝つために
あらゆる努力を惜しまなかった。
当然 国論をひとつにまとめるために有効と思われるあらゆる宣伝
キャンペーンを企画立案してきた。
そのひとつが “日本本土 初占領おめでとう” キャンペーンだった。

 

 

 

 

開戦から 3年2ヶ月。
“硫黄島” は米軍が苦労しながらやっとたどり着いた初めての
“日本” だったのだ。
硫黄島からもたらされた1枚の写真は、「勝利は目前だ!」という
メッセージを、何千語を費やすよりはるかに雄弁に伝えていた。

 

 

3年は長い。
1942年、43年、44年と丸3年間、対日戦争を戦い続けた米国民は
戦いに疲れていた。
米国内に厭戦(えんせん)気分がただよい始めていたちょうどそんな時、
太平洋の孤島から1枚の写真がもたらされたのだ。

政府はこれを奇貨とした。(平たく言えば、ラッキー! と思った)
アメリカは豊かな国だ。
そんな金持ち国でも、対ナチスドイツ戦と並行しての対日戦は
きつかった。 
この頃には、資金(戦費)の底が見え始めていたのだ。
開戦当初、真珠湾への怒りから飛ぶように売れた戦時国債も
さっぱり売れなくなっていた。
国民には、精神面に加えて資金の面でも、もうひと踏ん張りが
要求された。
こうして、政府の “戦時国債販売最終キャンペーン” は、
“祝 日本初占領” のお祭り騒ぎに紛れ込むようにして始まった。

当然そのシンボルは “あの” 写真だった。
“キャンペーン・ボーイ” として、写真に写る 6人の兵士たちに
一役買ってもらうことになり、戦場から呼び寄せることになった。

異例の大統領特別命令であり、軍の特殊任務命令だった。
この 6人の中に、原作者の父親、ジョン・H・ブラッドリー衛生兵もいた。

 

 

ところが、召還されるはずだった6人のうち3人は、ついに帰還
しなかった。
その後の激しい戦闘で戦死したのだ。
そこで、キャンペーンツアーには残った3人だけが同行することに
なるのだが・・・・・・。

映画は、生き残った 3人がツアーで遭遇した様々な体験を軸に
展開していく。

 

 

 

ホワイトハウスは硫黄島での戦いはほぼ終結したと見ていたし
軍もそのつもりでいた。
「5日で攻略できます。遅くとも1週間で・・・・」 と攻撃直前に米軍
総司令官が胸を張って言った言葉を、まだこの段階ではホワイト
ハウスの要人たちは信じていたのである。

 

 

 

無理はない。
たぶんあの写真を見せられた者は、誰でもそう思うはずだ。
はるか遠い太平洋の孤島では、世界戦史上類を見ない“地獄の
殺し合い”が始まろうとしていたのだが、戦場から隔絶したこの場所
においては、神様でもない限り そんな予測は出来なかっただろう。

硫黄島の日本軍は戦闘巧者・栗林中将の指導のもと、巧妙な作戦で
反撃の機会をうかがっていた。  

 

【上編】 終了

〈後記〉

ここまでのプロットは史実に沿ったものであり、映画でも描かれていたところだ。 

ご承知のとおり、硫黄島戦の史実には “ドラマチックなエピソード” が少なくない。

にもかかわらず、映画は まったくと言っていいほど “盛り上がり” を欠いていた。

それはなぜか?  次章以降で、深く掘り下げてみたいと思っています。

また、この映画の弱点、問題点にも言及します。  お楽しみに。


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コメント 34

後編を楽しみにしています!
良い新年をお迎え下さいませ!
by (2006-12-24 14:04) 

sysy_sysy

これ観ましたけど、土方さんのブログの方が映画よりオモロイです。金もかからないし。
by sysy_sysy (2006-12-24 17:20) 

Hiji-kata

● 梨花様
ご多忙中にもかかわらず ご訪問頂き感謝します。
来たる年が御家族にとって “最良の1年” になりますように!
by Hiji-kata (2006-12-25 02:31) 

Hiji-kata

●シンイチロウ様
おほめの言葉、有り難いです。
また読んでやって下さい。
by Hiji-kata (2006-12-25 02:40) 

Hiji-kata

● 朱色会 様
ご訪問 & nice 感謝です。
また読んでやって下さい。
by Hiji-kata (2006-12-25 02:44) 

後半が楽しみです。
若い頃はよく劇場に足を運びましたが(娯楽映画ですが(^^;;)
今は全く…。
観たいと思う作品があまり無いんですよね…
by (2006-12-27 01:07) 

Hiji-kata

●鈴蘭様
nice & コメント ありがとう!
「観たい映画があまり無い」・・・同感です。
過去の映画でお奨めのものは、いっぱいあります。
いくつか見繕ってDVD送りましょうか?・・・・と言っても
・・・・・取り合えず目録のみ(残念!)
by Hiji-kata (2006-12-27 09:58) 

timetobe

土方歳三さんこんばんわ。
戦争報道写真は一般の人より観ているつもりですが、この写真はやっぱり凄く印象的です。後編お待ちしています。
by timetobe (2006-12-27 19:25) 

Hiji-kata

●Milva様 
nice &コメント ありがとう!
この記事 読んで頂いてうれしいです。 
後編は徐々に完成に近づいて来ました。
ホントは前・後編のような面倒なことは避けたかったけど
公開寸前にある事実が判り、仕方なく書き直しとなりました。(涙)
面倒かけて ごめんなさいね。
たいしたブログじゃないですが、また遊びに来て下さい。
by Hiji-kata (2006-12-28 00:10) 

Labyrinth

こんにちは!おじゃまします~
私は映画、観ましたが、皆さんの仰るように ココの方が面白いかも? _・)ぷっ
後編凄~く期待しちゃいますよ!
出来れば『硫黄島からの手紙』も宜しくお願い致します! なんちてf^_^;
by Labyrinth (2006-12-28 15:12) 

Hiji-kata

●Labyrinth様
nice &コメント ありがとう!
こんな半端な文章でも 
少しの間 楽しんで頂けたとしたら幸いです。
ご覧の通りの不器用ものですが、出来れば
これからも読んでやって下さい。
よいお年を!
by Hiji-kata (2006-12-28 17:50) 

びっけ

先だってはご訪問いただきありがとうございました。
この『父親たちの星条旗』は未見なのですが、土方さんの記事を読んですごく興味がわきました。そうか、長引く戦争に疲弊していた国民、戦争反対派・・・そういうアメリカのお家事情があったんですね。
拡大して載せていただいたモノクロ写真も迫力があって素晴らしい!
年明けの後編も楽しみにしております!
by びっけ (2006-12-28 20:34) 

Hiji-kata

●びっけ様
nice & コメント ありがとう!
読んで頂いて恐縮です。ちょっと長くて申し訳ない。
ところで、僕は “調べる” のが好きなほうですが、
「びっけ」 という言葉を どこかで聞いたような気がして調べたら・・・・
30年ほど前に「小さなバイキング・ビッケ」というアニメがあったとか
・・・・それって、「びっけ」というH・ネームと関係あるんでしょうか?
これを読まれたら、ぜひ教えて下さい。(別に急ぎませんから)
by Hiji-kata (2006-12-29 03:32) 

びっけ

いやぁ、他の方数名にも「小さなバイキング・ビッケ」由来のハンドルネームでは?というコメントをいただいてきました。
あのアニメは見てました。ビッケが機転の利く子で面白いアニメでした。
しかし、残念ながら、由来は違うんです。
ここだけの話ですよ。
我が家の愛犬の名前がビスケット、通称ビッケ。
ハンドルネーム(ブログネームかな)何にしようかな・・・と考えていて愛犬と目が合って、即決しちゃいました。
土方さんのネームは、もちろん新撰組のあの方ということですよね?
by びっけ (2006-12-29 09:43) 

Hiji-kata

ご回答 感謝です。
私の命名由来ですか?
それにつきましては、記事の左側のカスタム・ペイン
「そうだ 京都に行こう!」を 、ご参照頂ければ幸いです。
もうひとつの候補・・・それは「ヘンリー本田」でした(^^
15年ほど前に観たジョン・フォード「荒野の決闘」は最高でした。
by Hiji-kata (2006-12-29 11:33) 

*Donguri_korokoro*

niceありがとうございましたっ^^
後編がとても楽しみです。
そうだ 京都へ行こう!も (*'▽'*)/☆゚'・:*☆
by *Donguri_korokoro* (2006-12-30 13:48) 

Hiji-kata

N.junjun様  いらっしゃい!
こちらこそ nice!ありがとう(^^
長い文章を読んでくれて感謝です。
また遊びに行きます。その時はよろしくです。
では お元気で。
by Hiji-kata (2006-12-30 17:22) 

チヨロギ

巷のレビューを観てもいまいち食指が動かなかったのですが、
こちらの記事を読むと俄然、興味が湧いてきます。
それから「盛り上がりを欠いていた」というご指摘も気になります。
ちょっと話がそれますが、ソクーロフの『太陽』を観たときに、
退屈に思えるほど淡々と描いているところに感心したのです。
あの映画もドラマチックな場面をあえて排し、「盛り上がり」に欠けていました。
レビューの後編を楽しみにしております。
ところで、アイコン変わっちゃったんですね。ちょっと寂しいな(笑)
by チヨロギ (2006-12-30 17:48) 

Hiji-kata

●チヨロギ様  nice &コメント 感謝です。
「太陽」 はボクも観ました。結構面白かったです。
「星条旗」とは趣が異なり両作品の比較は難しいですが
「後編」で比べてみたいと思います。
ところで旧アイコン、あれは 「江守徹」です。
ある史劇の宣伝用イメージイラストから採りました。
ご指摘を頂いて、その眼力?に正直驚きました。
by Hiji-kata (2006-12-31 16:25) 

*Donguri_korokoro*

あけましておめでとうございます^^
こちらこそ宜しくお願いいたしますっ
今後も楽しみです♪
by *Donguri_korokoro* (2007-01-03 20:32) 

omoukoto

はじめまして☆ブログでのコメントありがとうございました^^
土方さんの映画のいろいろな角度からの感想がとてもすごくて、
私の書いている感想なんて子供の感想文だなぁ
なんて思っちゃいました。(;_;)
私の下手な感想文でもnice!まで頂きありがとうございます!

確かに最近昔のような強い感動を覚えることが少なくなりましたよね。
私もいろいろ映画を見てもっと鍛えないと♪
これからもよろしくお願いしますm(__)m
また伺います♪
by omoukoto (2007-01-04 09:07) 

Mitsuru♪

あけましてあめでとうございます。

今年も語り合って人生勉強させて
くださいね。

今後もよろしくお願いしますぅ。
by Mitsuru♪ (2007-01-05 00:18) 

Hiji-kata

●good-days様  いらっしゃい!
過分なエールを頂き 恐縮です。
ほんの短い時間でも楽しんで頂けたなら
心から うれしく思います。
学生時代には映画鑑賞と演劇の稽古に明け暮れたボク
ですが、その頃にブログというものがあれば、たぶん毎日
映画や演劇のことを せっせと書いたと思います。
今、その頃の日記を読み返すと、赤面するようなケッタイな批評?
ばかりで嫌になります。それと比べると、あなたのレビューは
素晴らしい。素直で正直な筆致が好感を呼びますよ。
by Hiji-kata (2007-01-05 01:31) 

Hiji-kata

●N.junjun様
先着のキミがあとになってしまった。
ヤキがまわったよ。ごめん!許してくれ!
今度いいものプレゼントするからね~
今年もよろしくです!
by Hiji-kata (2007-01-05 01:37) 

Hiji-kata

●きのこ先生  いらっしゃい!
明けまして おめでとうございます。
今年も よろしくです!
by Hiji-kata (2007-01-05 01:44) 

風邪大丈夫ですか?無理しないでくださいね^^
by (2007-01-12 23:56) 

pafu

風邪、ゆっくりなおしてくださいね。

水分だけ切らさないように。
暖かくしていてください。

お大事に。
by pafu (2007-01-13 11:22) 

naonao

訪問いただいてありがとうございました。
私へのコメントはそのまま土方歳三さんにお返ししたいほど、すごいブログですね。脱帽です。戦争映画は観た後重い気分なので、この映画の試写会も当たったのですが、同じ日に試写だったナチョリブレを観にいき楽しい気分で戻りました。でもこの映画観ずともこんな風に紹介していただけるなら、観なくてもわかったような気分になりますね。力作の記事に本当nice!です。
by naonao (2007-01-13 12:29) 

Hiji-kata

●鈴蘭様
お見舞い 感謝です。
どうやら こじらせてしまったようです。
カゼをひくことが珍しく、スキがありました。
反省です。
by Hiji-kata (2007-01-13 23:34) 

Hiji-kata

●pafu様
お見舞い 恐縮です。
ちょっと無理して こじらせてしまいました。
東京は乾燥のピークで、なかなか大変ですが
早く治したいと思います。
by Hiji-kata (2007-01-13 23:40) 

Hiji-kata

●naonao様
コメント & nice! ありがとう。
早く あなたのように、簡潔でパワフルな記事を
ものに出来るようになりたいです。
「映画は楽しくなくちゃ・・・・」
まったく同感です。
楽しみながら、気がつけば鑑賞眼も身についていたという
のが理想ですし、そうでない映画には注文をつけていくことが、
映画の未来を明るくすると信じています。
by Hiji-kata (2007-01-13 23:53) 

Hiji-kata

●まみりん様  ナイスありがとう!
 長い記事 読んでもらって感謝です。
 また映画の話ができるとうれしいです。
by Hiji-kata (2007-01-18 12:26) 

流星☆彡

ちょいと こちらの記事に失礼いたします。m(__)m
私は 年が明けてから 硫黄島2部作を 立て続けに観た者ですが、
これは 守御偉 力作ですね!自記事を書くに当たって、パンフ・映画HPと
いろいろ読んだ つもりでしたが、“硫黄島は “サンタクロースの帽子” の形を
している。摺鉢山は三角帽子の先端、丸いボンボンの位置にあたる。”は
初めて読んだ記述です!面白~い♪ アメリカ人は、X'masを 引き合いに
出すの 好きですものネ。X'masが理由なら、戦争も ちゃんと(!!)お休み
しちゃうし…。
また 次の(中)に 伺いますネ!(^_^)/
by 流星☆彡 (2007-02-06 06:52) 

Hiji-kata

●流星☆彡 様
うわぁ~  またまた素早い!
土方の剣も “星の速さ” にはついていけません (笑)
精力的に多くの記事をモノにしていく秘訣は、努力と情熱と、
もうひとつ この“速度” だったんですね(^^)
ところで “丸いボンボン” に気づかれるとは・・・さすがです。
この言葉は、この記事の公開が12月24日だったので、
それにちなんで少し工夫して書いてみたんです。
それを指摘されるとは・・・・・うーん、鋭いなあ。
by Hiji-kata (2007-02-06 11:31) 

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